AGC 

AGC 

山岳地理レポート  

REPORT-02-2-7

金峰山表参道の古道を辿る

−できるだけ正確に歩いた−

               富永 滋


第二部   通行記録

7 龍ノ平〜御小屋沢造林記念碑

第一部 こちら

1 吉沢一ノ鳥居跡〜太刀抜岩分岐(上道経由)

2 吉沢桜橋〜太刀抜岩分岐(下道経由)

3 太刀抜岩分岐〜金桜神社下三ノ鳥居

4 金桜神社下三ノ鳥居〜根子坂(猫坂)上

5 根子坂(猫坂)〜下黒平

6 下黒平白雲橋〜龍ノ平

7 龍ノ平〜御小屋沢造林記念碑

 龍ノ平の駐車場から金峰山に登る登山者は多いが、確定したコースはなく幾つかのルートかあるようだ。荒廃が酷いこの区間の古道は登山者にとって歩き難いばかりで、場所によっては通行の形跡は全く見られなかった。ただ、尾根筋のバリエーション登山として古道の一部を利用する方がいると見られ、マーキングが見られた場所もあった。この区間は、道は不明瞭だが、地図読みさえできれば容易に歩くことができる。

 道は森林浴広場の周囲に沿って進み、百米弱の地点で未舗装の園内車道を横断した。この地点の道の付き方は大変分かり難く、下り方向は歩行を妨げるように枯枝が積まれ、登り方向は車道造成とヤブの繁茂とで道の入口が消えていて、さらにそこから園内車道の支線が分岐しているので、ちょっとした捜索が必要かもしれない。蛇行して登る抉れた古道は枯枝が詰まって歩き難く、豪雨時の水路となり詰まったものなのか、所々に枯枝の大きな束が積み重なって道を塞いでいた。普通に道として歩ける状態ではなく、古道は廃道扱いのようだった。約50m登って、1290m付近で御岳林道を横切った。崖状になった山側の法面の取り付きは若干の危険が感じられ、ごく偶に通る古道の登山者が強引に登った踏跡が付近の数ヶ所に付いていた。

 御岳林道を過ぎると、道の善し悪しは別として古道は概ね明瞭で、無理に歩く気になれば歩ける状態であった。相変わらず倒木や枯枝が詰まった水路のように抉れて荒れた道を、急登した。1318m付近でカラマツ植林の尾根に乗ると、以後常に尾根に絡んで登るようになった。荒れた作業道といった感じで、周囲より窪んだ道型と時折見られるマーキングのため、大きく迷うところはなかった。周囲がミズナラやイヌブナになると、大量の落葉をラッセルのようにかき分けて進んだ。道が平らになる部分は、落葉に埋もれて少し分かり難くかった。僅かに伐り残されたこの自然林が、かつて一帯全てがブナやナラの下に笹が茂る豊かな森であったことを思い起こさせた[19]。枯木の間から金峰山の五丈岩がくっきり見え、漸く登山らしい雰囲気になってきた。道は、尾根の左を登ったあと、カラマツやヒノキの植林の辺りで右を捲くようになった。その先1409m小峰の右捲きは、カラマツの土壌保持力が弱いため道型があいまいになるほど荒れていて、ヤブっぽい細道になっていた。地形図で小さな崖記号があるその近くの1400m付近は、20m位の間、斜面全体が崩落していた。

 尾根を右に左に移動し、もしくは尾根上を蛇行しながら、一気に1500m近くまで高度を上げた。古道上に横たわる大倒木を潜ると、古びて読み難い鳥獣保護区の標示板があった。そこから出る支尾根の方が主尾根に見えるので、下りでは迷いやすい箇所である。急に広がった緩い尾根の僅か右を捲く薄い道を辿るようになった。尾根筋も踏まれていたが、道の付き方から右捲きの方が古道らしく思えた。モミが優占する広い尾根が狭まると、軽い登りの後、伐採で明るく開けた尾根上の1540m付近の平らな場所に出た。古道はその右端を通過していたが、比較的新しい伐採地らしく、古道を無視して造成された作業車道が交差していた。そのため車道が横切る部分で、古道の下側は積み上げた枯枝の山で塞がれ、上側もヤブで分かり難くなっていた。

 カラマツ植林の中、古道は荒廃が強まり、ヤブや道を塞ぐ倒木、崩れて埋まった箇所等で、かなり歩き難くなり、殆んど歩かれていないように見えた。古道ルートを辿ろうとする登山者も、この区間は敬遠して適当に歩きやすい箇所を拾って通行してるのだろう。尾根の右寄りをトラバース気味に登るうち、自然林が現れ倒木が減ってきた。山腹を蛇行しながら高度を上げ、傾斜が緩むと保安林の看板を見て、尾根は広く真っ平らになり道型が不明になった。道は尾根の芯に近づき、そのまま乗越しているようだった。ここが楢峠(1619m)であろう。暫く尾根の右を登ってきた道が、ここから大きく尾根の左に逸れるので、尾根を乗越す肩状のこの場所が、地形的には最も峠らしい。九十年以上前に歩いた高野は、付近が終始ナラの森であることからその名に納得したという[5]。明治三十七年の測量記録には物見三角点(1709.7m)の通称を物見山とし、黒平から金峰道を登ってきて峠の右側にあるとしている[33]。国志では「楢嶺(トウゲ)ト云坂路羊腸タル處ニ物見石アリ」とし、高畑も「楢峠の上に在る物見石」と、ここが楢峠であることを示唆している[20]。右から登って来た御岳林道からの廃車道が、近年「金峰古道」コースとして歩かれる登山道であろう。よってこの先、今までより多少は道らしくなることを期待した。

 平坦な楢峠からの道がどう続くか判断に迷ったが、尾根の左寄りに見えたピンクテープが良い目印になった。ここからは登山道として利用されているためか、道の状態は作業道程度であり、悪くなかった。物見三角点の左を水平に捲く間、伐採跡地やシラビソやカラマツの小植林を通過した。カラマツの箇所はやはり道の荒廃が進んでいた。

 物見三角点を捲き終わった辺りの尾根上に、突然真新しい百本程度の伐木の山が現れ驚いた。付近の山が伐採の最盛期らしく、御小屋沢から尾根の西を回り込んで作業車道が延び、そこで再び御小屋沢側に尾根を越していた。古道はすぐ新しい車道に呑み込まれ、暫く車道化されているようだった。車道の右側を並走する痕跡らしきを見て歩いてみると、数十年前の古いジュース缶が落ちていてるなど古道の可能性を感じたが、連続する明確な道として残っているわけではなく、基本的に車道を歩かざるを得なかった。1692独標南の小鞍部で車道は尾根の右に移った。尾根上に付いた切り開きは防火帯で、試しに歩いてみたが古道らしい道型は見られず、捲かずにきっちり尾根筋辿っているので、それは古道でないと思われた。車道が尾根の右側に移って約350m行くと、車道は再度尾根上に戻るが、その寸前で右へ緩く下る作業道があった。一帯の伐採と植林により全く面影が消えていたが、これが古道である。そのまま車道を進んでも同じ地点に出るが随分遠回りになる。タイミングよく刈払い直後だったので大変歩きやすく、テープのマーキングも確りしていた。一般向け登山道と言えるほど、格段に手入れが良くなった。御小屋沢の小流を丸太橋で渡り、低い笹原を進むと、先程離れた車道が回り込んでくる所を横断した。車道の手前左に造林記念碑が、少し離れた右方にプレハブ作業小屋があった。扉が無くなっていたが、雨露程度なら恐らく凌げるだろう。

【時間記録】 龍ノ平-(1時間)-楢峠-(15分)-作業車道-(10分)-作業車道離れる-(3分)-御小屋沢造林記念碑 [2020.11.17]



@ここと山頂にしかない杭打ち式の道標

Aヤブに埋もれた森林浴広場の出口

B大量の枯枝で塞がれた所が数ヶ所

C一瞬道らしい部分が現れる

D御岳林道横断時は崖状の法面を突破

E倒木や枯れ枝が詰まった溝状の古道

F落葉で判然としないナラやブナの森

G捲きの部分は崩れて踏跡程度に

Hほぼ読めない鳥獣保護区表示板

I緩い幅広尾根を道型をよく見て捲く

Jピッタリ尾根上を行く歩きやすい箇所

K1540m付近の開けた平坦地

L伐採で荒れヤブや枯枝で不明瞭

M 小さな崩れや倒木でしばしば道消滅

N真っ平らな楢峠で尾根左の大捲きへ

Oカラマツ植林の多少良くなった捲道

P突然現れた伐木の山と作業車道

Q車道造成で古道が崩され消えた

R車道はほぼ古道上に敷かれたようだ

S車道に沿う断片的な古道の痕跡

21)御小屋沢を渡ると造林記念碑が



8 御小屋沢造林記念碑〜御室小屋跡



UP

copyright(c) AGC(y-kondo)