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山岳地理レポート  

REPORT-02-2-6

金峰山表参道の古道を辿る

−できるだけ正確に歩いた−

               富永 滋


第二部   通行記録

6 下黒平白雲橋〜龍ノ平

第一部 こちら

1 吉沢一ノ鳥居跡〜太刀抜岩分岐(上道経由)

2 吉沢桜橋〜太刀抜岩分岐(下道経由)

3 太刀抜岩分岐〜金桜神社下三ノ鳥居

4 金桜神社下三ノ鳥居〜根子坂(猫坂)上

5 根子坂(猫坂)〜下黒平

6 下黒平白雲橋〜龍ノ平


白雲橋のT字路から車道の法面を登って集落へと続く簡易舗装の細い急な歩道を登ると、手作りの動物除けの柵が設置してあった。慎重に枝木を一つずつ外し、何とか越えたら丁寧に元に戻した。身体能力と注意力とを要する作業なので、柵を壊さず元通りに戻すことができないなら、集落の方に迷惑になるので通るべきではない。坂の上には、長閑で美しい下黒平の村落が点在していた。狭い農道ほどの歩道脇の畑に並ぶ古びた地蔵は、絵に書いたような山村の風景だった。緩く登った村の上端には庄屋のような大きな民家があり、村を見下ろすように少名彦命を祀った小社が置かれていた。

 村の出口もまた、今度は鋼製の鹿柵で塞いであったが、網の破れを潜って通過した。コンクリで溝状に固められた石堂沢を右岸に渡り、植林をうねうねと蛇行して登った。作業道として使われていると見え、歩きやすかった。3〜40mの高度を稼ぐと、のらりくらりした緩い登りになり、道型が不鮮明になった。遠回りして上がって来た車道(御岳林道)が急接近し、古道は少し切り崩されていた。道の痕跡や踏跡を繋いで進むと、緩い窪状で道が消滅し捜索を要した。時々見るピンクテープが目印になった。その先、下黒平、上黒平を隔てる峠の部分は、かつて植林関係か何かの作業場になっていたらしく、古道は消滅し、人為的な造成工事で地形が変わっていたので通過に手間取った。まず造成地の下側の段差を乗り越え、作業用車道を横断、茅の茂った平坦な作業場跡を横切ると、トタンの資材置き場とプレハブ小屋が建っていた。この一帯は造成により古道が完全に消えていた。

 プレハブ脇を通る御岳林道のカーブミラーの近くから古道の抉れた道型が回復したが、ヤブとゴミに埋もれ倒木が詰まって、通行が物理的に大変な状態だった。突破不能な深い茨を含むヤブの部分は下捲きした。その先ヒノキ植林に辛うじて古道の道型が残っていたが、酷く荒れて崩れた箇所もあった。また車道が近づいてきて、道型が不明になるとともに茨ヤブが酷くなったので、無理やり車道に移った。その地点、車道は前方の小窪に橋を渡していたが、その小窪を埋め立てた左側の敷地が昭和五十三年に廃校となった黒平小跡である。塀と正門、「想い出」の碑だけを残して更地になっていた。この辺りから上黒平の集落に差し掛かり、古道はほぼ車道と化しているようだった。下り出す直前に、道祖神が並んでいて、金峰山を背に集落を一望する場所があった。

  上黒平の古い家並みを通り過ぎた。村落中央の道が鉤型に曲がる所に、古い道祖神や祈念塔が置かれていた。小さな村の向こう端に、民俗芸能の能三番で知られる黒戸奈神社の凛々しい姿を見た。黒平の村名は、社名の黒戸奈が転じたものとされる[8]。右には甲府市民専用のレジャー施設いこいの里があり、その先、乙女高原を越えて塩平に抜ける荒川林道を右に分岐すると、甲府市有林の上黒平森林事務所が立っている。

古道はここから荒川の悪場を避け、仏坂を登って鳥居峠を越えるが、仏坂の下部は御岳林道に串刺しにされ、造成により著しい影響を受けていた。旧版地形図が示す古道は、初め森林事務所から北へ向かって支沢を遡り、コレイ坂の峠道と分かれて仏坂へ向かう支窪に入っている。しかし元の地形が不明になるほどの人工的な造成が行われているため、かなり注意深く古道の痕跡を求める必要があった。まず森林事務所の整地して道型も見えない敷地を通り抜け、一度目の車道交差となる。小沢右岸の草むらに道型を見つけて追うと、数十米先でプツリと途絶えた。木橋でもかけて沢を渡っていたのであろう。注意深く沢を渡り、目の前の車道擁壁をよじ登った。二度目の車道交差である。反対側の傾斜に、ちょうど長い山側の法面が終わったところの小さな踏跡に取り付いた。茨の中にすぐ古道の道型らしきを見るも、造成か道路建設の残土かで埋まって消えてしまった。地形的にはほぼ真っすぐ登るはずだが、それに沿って登るべき仏坂の窪地形そのものが埋め立てられ分からなくなっていた。再度立ちはだかる車道の擁壁は高くて登れず、左から捲いて車道の上に上がった。ここが三度目の車道交差である。山側に仏坂の窪状地形と左岸の古道の道型を見て、それに入った。窪状も古道も石や枝で荒れていたが、通ることは可能だった。古道は右岸に渡り少し登ると、また車道の高い擁壁に突き当たった。右岸側の踏跡で車道に上がり、四度目の車道交差である。ここでようやく一度車道を離れることができた。奥に「第六回甲府市水源林まつり記念育樹」の標柱が見え、そのまま窪状右岸の廃作業道に入った。この辺りから植林になり、古道は作業道として使われていたようだ。倒木を跨いで植林地に入り、一時は歩きやすかったが、蛇籠が積まれた地点で途切れてしまった。その先は車道建設時の土砂に埋もれ道型が消えているので、谷の右岸に沿って車道まで適当に登った。昭和五十一年のガイドでは、この辺りに道標あり仏坂の近道を示していたという[32]。車道はすぐに鳥居峠を越えた。かつて六ノ鳥居があったという鳥居峠は、ただの車道の切り通しになっていた。

 古道は、峠の数十米先を右に入る植林作業車道になっているようだった。だがそれを百数十米も行くと、作業車道は明らかに古道の道筋を外れて右にカーブを切り出した。左の植林中に道型を少し探すと、夥しい間伐材で埋もれながら続く道型が確認できたので、それを追った。伐採時の作業道との見分けが難しかったが、現在の車道下に平行する道型が古道と思われた。堰堤が連続するカクシ窪を渡る地点は道型が完全に消えていた。左岸植林の斜面で作業道的な踏跡が現れたが、古道は頭上の車道造成で消滅した可能性が考えられた。鼻を回って精進川右岸に入る辺りから、古道かも知れない道型が分かるようになり、川沿いに間伐で荒れた植林地を緩く登った。次第に車道の高さに近づき、カクシ窪出合から直線距離にして約四百米の地点で古道は車道に吸収された。暫く車道歩きを余儀なくされた。右に注意しながら歩いていると、時々古道らしい道型が現れたが、ヤブを分けて辿ってみてもすぐまた車道に吸収され、続けて歩ける部分はなかった。やがて車道は龍ノ平橋で精進川を左岸に渡り、急に左にカーブを切りながら軽く登った。古道の渡河点は、地形的に長坂沢の出合近くだった可能性があるが、その痕跡は見られず分からなかった。カーブ先に石祠と道標があり、金峰参道はここで御岳林道を離れて山中に入る。前方の平地は龍ノ平で、甲府市森林浴広場の施設が遠目に見えた。金峰登山のためここまで車で来た場合、この先の御岳林道は一般車が入れないため、ここが登山口となる。

【時間記録】 下黒平白雲橋-(25分)-プレハブ作業小屋[ここまで2020.12.6]-(10分)-黒平小跡-(10分)-上黒平甲府市森林事務所-(15分)-鳥居峠-(35分)-龍ノ平 [ここまで2020.11.17, 2021.2.23]



@野猿谷林道に出合い下黒平集落へ

A集落入口の動物避け柵

B信仰厚き山村の風景

C村内の道は今でも軽トラがやっとの幅

D少名彦命を祀る村内の祠

E林業用に良く整備された道を登る

F植林が途切れると不明瞭に

G作業用の造成地で道が途絶える

H何かの敷地だった広い茅原を抜ける

Iトタンの作業場とプレハブ脇を通過

J車道と並行する古道の道型

K上黒平へ向かう薄い道型

L黒平小跡で車道に吸収される

M 村を見下ろす道祖神

N村内の鉤型の道祖神と供養塔

O能三番で知られる黒戸奈神社が左に

P甲府市森林事務所の敷地を抜ける

Q一度目の車道交差後は小沢右岸を

R二度目の交差後の部分的な道型

S車道法面で行き詰まり左から捲く

21)三度目の交差後は多少古道が続く

22)四度目の交差でようやく仏坂にかかる

23)造林後の放置された荒れ放題の道

24)仏坂途中の道がよく残った部分

25)鳥居峠を切り通して車道が通過する

26)峠先を右下に下る古道跡の作業車道

27)植林地に入り間伐木で道が埋まる

28)カクシ窪付近は完全に道が消える

29)精進川右岸を行く薄い道型

30)川の縁で明瞭な踏跡になる

31)車道につかず離れず明滅する古道

32)龍ノ平入口の石祠で車道を離れる




7 龍ノ平〜御小屋沢造林記念碑

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