2017年4月定例山行「狭山湖花見ハイキング」






日程 2017年4月8日(土)
目的地 狭山湖
コース 小手指駅(10:00)→ ポトマック桜(10:05)→ 小手指公園から砂川堀枝垂れ桜並木(10:10〜10:20)→ 小手指古戦場(10:55)→ クロスケの家(11:25〜40)→ 金仙寺(12:00)→ 狭山湖周遊道路(12:15)→ 藤棚の丘(13:00〜15:40)→ 西武球場前駅(16:00)
参加者 辻橋、染谷、石光、岡田、喜多、大西、二戸、中臺、渡辺  計9名
係り 渡辺
記録 文・写真 / 渡辺

 2日前に天気予報が曇りから午前中雨の予報に変わってがっかりしたが、材料は辻橋さんが8人分しっかり仕込んであるはずだし、中止にしたらその材料達はどうなるのかを考えただけで、もう「中止」ということは一切考えないことにした。花見宴会予定場所近辺にはいくつかの東屋もあることだし。・・・と言うことで、前夜には「予定どおり決行」のメールを出した。すると当日朝に岡田陽子さんから「鍋は遠慮するから参加させて」というメールが届く。珍しい方の参加は大歓迎なので「鍋の8人分が9人分になっても大して変わりはないだろうから、是非来て」と返信した。
さて当日は朝から結構な降りの雨の中にもかかわらず、三々五々小手指駅に集合。横浜から直通では来られるものの、1時間以上座りっぱなしという方もいた。数回以上眠ったり起きたりしたとのこと。集合時間の10時には岡田さんも含め全員が集まり、出発。幸いにして、駅舎を出たらすでに雨は止んでいた。大きなザック姿を地元の人に見られたくない幹事は、重い荷ながらやたらと早く歩く。西友横のポトマック桜は昨夜来の雨ですっかり寂しい姿に。そのあと、SLが飾られた小手指公園から砂川堀の枝垂れ桜を眺めながら閑静な住宅街の中を歩く。西武線の線路をトンネルでくぐり抜けると広々とした畑の農村風景となり、道も所々未舗装となる。小手指古戦場白旗塚の遺跡に到着、周囲から少し高くなった塚に登ると頂上にはうっそうとした樹々に囲まれ碑や浅間神社の小さな祠があった。さらに畑の中の道を歩き、トトロのふるさと基金の事務所があるクロスケの家に到着。今回のコース前半であるクロスケの家まで約5km、1時間半。

金仙寺境内にて

金仙寺墓地のハナモモ

 クロスケの家でトイレを借りたり、縁側でのんびりと休んでおきながら寄付金は全く払わず。それどころか椿をただでもらってくると言う方もいて、あとでちょっと反省。クロスケの家を出て後半のコースに出発、早稲田大学の脇を通って金仙(こんせん)寺に到着。樹齢140年という枝垂れ桜の前で集合写真を撮る。金仙寺は花のきれいな墓場として売り出しているのか、ハナモモがちょうど美しく咲いていた。予定ではここからハナモモ林を抜けて「さいたま緑の森博物館」に立ち寄るつもりだったが時間と腹の都合で端折ることに。早稲田大学横の上り坂をあえいで登ると狭山湖湖畔の周遊道路に出た。ここが今回の標高最高点154m。近くには、湖のそばで立ち入りはできないが根古屋城跡という1400年頃の築城跡がある。あとは約2kmの退屈な砂利道を途中で休みを入れながら狭山湖堰堤まで歩く。真直の堰堤がまた長く、700mもある。

金仙寺境内

藤棚の丘にて

 ようやく渡りきったところで、トイレに近く、登り口が草で覆われているためあまり存在が知られていない、得体の知れない遺構と藤棚のある丘(今回、藤棚の丘と命名)に上りブルーシートを広げた。到着は午後1時。花見宴会の鍋が用意され、鮭やエビ、ホタテなど魚介類が贅沢に入った海鮮野菜鍋が卓上コンロでたっぷりとできあがったのであった。傍らでは栃尾の油揚げをはじめ、キビナゴ、イワシ、シシャモの焼き物ができ、スパークリングワインに白ワイン、ビールに日本酒、田苑という鹿児島の麦焼酎まで、存分な花見宴会を約2時間半以上にわたり楽しんだのであった。途中、親の遺品の絵はがきを持ってその場所を探しているという夫婦が飛び込んできたりした。その時に話題になった遺構は、帰宅後インターネットでしらべたところ、「狭山湖堰堤」と「藤棚」というキーワードでようやく見つけた。それによると、この遺構は、『地下水位を観測するための「ピット」、あるいは、堤体のひずみを観測するための「基準点」ではないかと推定され、上部に、建設省国土地理院の「二等多角点」、所沢市の「1級公共基準点」が置かれている。内部には、円形の筒状のピットが設置されている。』とのことであった。
(http://www.geocities.jp/akutamako/photo2-sayamako.htmlより)
因みに、飛び入り夫婦が言っていた「村山富士」という名称は存在しないようだ。しかしながら、狭山湖周辺には「富士」のつく場所が三箇所ある。いずれも富士山の眺望に優れて、中でも有名なのは明治時代に人工的に作られた荒幡富士で麓には浅間神社もあり地域が保存会を作って守っている。残りは谷津仙元富士と狭山富士で、後者は帰途のついでに立ち寄ることもできたのに行けなくて残念だった。

ジゴクノカマノフタ(キランソウ)

 ここ藤棚の丘でも桜をバックに集合写真を撮った。遺構のそばには「地獄の釜の蓋」という恐ろしい名前の花が群れ咲いていた。丘を下り狭山不動尊の境内を通過し、西武球場の観客たちの歓声を聞きながら西武球場前駅に到着した。午後4時。皆もう腹一杯でお酒も十分頂いたと言うことで反省会はなし。幹事は池袋方面に行く方々と西所沢で別れ長くて短い一日から開放されたのであった。総歩行距離約12kmほど。コンクリート道が多かったので、通常の山道に比べて足が疲れた。


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