随想:戸隠雪原

日程 2007年2月24〜25日
参加者 8名
記録 石岡

 卯月も末、北信濃は時折粉雪が舞い寒暖の差は大きいが、ロッジの餌に飛来する野鳥は春のような光をキラキラ浴びていた。山スキーを楽しむため京都支部から駆けつけた 4岳徒と首都圏のクロカン組8人が落ち合った舞台は『越水ヶ原』である。
長野市内で標高はすでに370bはあるので、雪の高原へ更に900bは川中島バスでかせぐことになる。 山岳俳句の巨人は詠う:

            雪原に立ち雪原の大気吸ふ(岡田日郎)

1000年以上前に開山したという山岳信仰のメッカに暫し身を置くと、身も心もスッキリ!と“遊行の旅”に巡りあった2パーティーだったかもしれない。
人は思い出を友として年をとるようだが、北信冬枯れの光景が走馬灯のように蘇る。白一色の森林原野。葉を落とし尽くしたハルニレ、キハダ、ミズナラ、トチ。“キュキュ! ギシギシ?”と心地よい雪踏み音。 樹齢400年凛とした参道の杉並木と奥社。濃紺の空に突き刺さる戸隠山の屏風岩。風景の中にピッタリ埋め込まれたようなロッジ。そして喧騒を逃れ、破顔童心に還る岳人等・・・・・・・!!
初日24日は鳥類専門の地元滝沢氏のご案内で、南方鏡池の方へ二時間半ほどの散策。コゲラ、アカゲラ、ヒガラ、シジュウカラが多く生息し、ねずみ、モグラ、すずめなどを餌とするふくろうのことは特にお詳しい。雪の量は少なく、踏み込まれた雪原はカンジキもいらない。小川は春のせせらぎ風だったが、鏡池にコワゴワ足を運ぶと完全に凍結していた。
ロッジの近くに旧越後道の碑があったが、越後の方に水は流れ往くので「越水」と呼ばれるいわれとか!!
  ロッジオーナーによれば、万葉集に《山高きもが、空たかきもが 月よみの越水を君に捧げる》とあり、越水の歌意は“若返りの水”ではないかと言われる。霊山として慕われた戸隠、冷涼な源流に導かれるように越後からの巡礼地でもあったのだろう。確かにこの一帯は千曲川、呼称変わって信濃川へと「大河の流れ」へ秘境の水源であるにちがいない・・・・・?



 帰還して程なく京都山スキー隊も到着、和やかな対話集会になるのにそうかからなかった。汗を流すのもそこそこに、8畳部屋に正座した面々は京婦人からお点前のもてなしを頂く。標高1250bロッジの外では、少々雪も舞って“雪見茶会”となり、頂戴した濃緑のカテキンが鶴屋吉信の京観世と“妙なる調和“となっていた。
一期一会でもないが晩餐も盛り上る。西から伏見の銘酒“玉乃光”、東から薩摩の芋名品“伊佐美”それぞれ一升がデーンと鎮座。全員で一斉にビールから喉の堰を切る(Down the hatch!!)
オーナーご夫妻のお人柄か、高原のお宿にはほっとするぬくもりがある。
40年前とか中西悟堂翁“鳥語洗心”の直筆の書は、山遊の仲間にもピ〜ンと響いたご自慢だった。飛来する愛くるしい小鳥に寄せる女性岳人の優しき眼差しは事の他である!!
やがてフランスワインを頂ながら、水上オーナーの「戸隠物語」が始まる。首都から移住して40数年、アット言う間の来し方が感慨深い趣である。大正生まれのご夫妻が仲良く並ばれ、ご夫妻にしか生きられない生を生きておられジット傾聴する。戸隠の自然や文化にご造詣が深く、小石川高校生や千葉ガールスカウト、地元ボーイスカウトと一緒の実践されているブナ植樹に対するフィールドミュージアムへの想いは篤い。
鳥類や樹木が人と同じ“生きている”一木一草の宗教観が語られた。三角錐の実から苗を育て、みんなで命を育む教育はトッサには出来ることではないが、植樹が人を助ける、助けられる敬虔さにつながるような語り口であった。
千葉県前大槻副知事が、7年前長野森林局長の頃に水上ロッジオーナーと取り組まれ、北信濃のブナ植林地600ヘクターを確保契約されたお話には触れられなかった。既に1000本以上の植林を実践されているそうで、壮大であり若い世代に末永く引き継がれるであろう。
10年〜20年後にブナ幼木がどう成長し、岳人の加齢はどんな摂理と成り行くか、興味深々JAC仲間といつか植樹の時が訪れよう。植物の助けがなければ、どんなに豊かでも人間だけで生きらないのに、異常暖冬の《気候クライシス》は地球破壊の予兆なのだろうか?
最後にオーナーは「信濃の国」の県歌にも触れられた。長野県人の真骨頂が6番まで連綿と綴られているのだが、千葉県24山の標高は全て長野市中と同じくらいだから“山河の秀でたる”地勢こそ憧憬の的ともいえる:

          聳ゆる山はいや高し 流るる川はいや遠し(しなののくに)

地元のお仲間も、野鳥サンクチュアリのお話やネマガリタケ製ワカンジキの手仕事のコツも披露され締めくくられた。



 さて翌朝は合同歩行となる。京都チームは、山スキーを取りやめご一緒したいと言われ、広大な植物園の高低差を活かして歩きと滑りの競演である。面白いことに、スキー足に比べて、ブーツ歩きは断然平地では勝つのだが、少しでもスロープがあると京都組みはスイスイ、「去れよ〜!」《お先に〜!》と以心伝心であった。
かくて数十、数百年の風雪に耐え抜いた広大な雑木林の静謐な世界に浸る。何十種類か雑木名掲示に気付いたが、「黄色いハンカチ」の黄染色こそ、この森に一杯あるキハダの独壇場で鮮黄色の内樹皮をめくって皆で確認する。ミカン科漢方の大御所「黄檗」である。
戸隠の田辺地質学芸員によれば、「飯綱山が50万年前富士や浅間と同時期噴火した時、大量な火砕流、土石流を押し出したが、戸隠屏風岩に遮られ堰止まったのが“越水ヶ原”なんです」と・・・・・。最初は茅葺屋根のカヤの採集地だったが、その後雑木林に遷移したというご説明も頂いた。戸隠山は500万年前に遡り、海底火山の隆起で生まれ、いたるところ貝殻露出地層があるようだ。道理で危険極まりない“蟻の門渡り”岩稜のもろさを納得する。
8:30に出発して午前中はフルに動き回り、奥社に拝礼。
留守中に佐久在住の仲間のHo会員が駆け付けられ、戸隠蕎麦を頂きながら旧交を温める。京お手前にささやかなお礼をさせていただいてから、皆さんはスキーの本場富山へ向かわれた。
帰路新宿行きの高速バスの中は、諏訪新仕込の眞澄“あらばしり”、黒のダルマに飛魚竹輪が花を添えて旅の成功を祝った。 おわり



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