6月山行 千葉・鋸山

日程 2006年6月24日(土)
コース JR金谷駅〜観月台〜石切場跡〜展望台〜鋸山〜日本寺
参加者 石岡、辻橋、佐藤、福原、中澤、喜多 (6名、敬称略、順不同)
記録 石岡
 
南房総紀行〜石窟は残った〜

 傷心のサッカー戦士が帰国したその日、中年岳徒男4、女2のチームは、千葉の南房総国定公園をシャチの如く遊泳していた。気のせいか20匹のW杯サムライが養殖ハマチのように、ヤワで終わったのは合宿疲れだろうか? 
青梅雨真っ只中、24日は幸い好天に恵まれたが、韓国通の岳人からすると、鋸山の低山ハイクとはいえ、どうして奥が深くうかがい知れない。 滴り落ちる汗に塩分、毒気も抜け、久しぶりサウナ気分のような爽快な山遊びだった!
館山測候所によれば、当日気温27~28度、空気中の水分の完全飽和を100とすれば、湿度は80%近かったようで、さすが南房総らしいと口を揃える。
6月リーダーは、山開き遅れの福島奥から、温暖内房へと発想転換してくれたお陰で、体験不足だった千葉のお山の何たるかを再認識する機会になった。房総半島もJR千葉から2時間の奥座敷ともなると、館山、金谷漁港も近く、山もだが、海の幸の魅惑にかられた御仁もいたろう。
JR浜金谷駅を10時半スタートし、リーダーは由緒有りげな車力道と呼ばれるコースをとる。 狭い切り通しのような道をぬって登る。切り出し石を下降させる猫車のブレーキをかけた痕跡が帯状に残っていた。
制動しながら鉄ブレーキが石畳をこする音、散る火花!! 重労働の汗と血と涙の現場に入っていく。切り出しは男,石降ろし,車の荷揚げは女仕事だったと友は調べていた。
ヒカリモ発生の地とある小さい洞穴沢のようなところには、海から森へ来たのか「アカテカニ」が遊んでいる。
(写真は拡大してご覧になれます。)






 やがてイスラム原理者が破壊したバーミヤン石窟のようなそそりたつ遠景が、視界に入ってくる。
急勾配の手摺をたどると、最初の石切り現場が立ちはだかる。昔から「房州石」「凝灰石」とかいわれる砂や泥が堆積した岩盤が貴重な建設資材として切り出されていた跡である。 苔むした岩肌に群生するイワタバコが可憐な紫の花を一杯つけていた。
この一帯太古は海底だったそうで泥砂が堆積した地勢が隆起し,褶曲して今の「荻生火砕岩層」という半島海岸線になったと学術研究の層であるらしい。
照葉樹林帯は鬱蒼と繁茂し、ヘビだかヒルだか密林気分が少し気になる。枝先に白い泡の卵塊をつけるモリアオガエルも生息しているそうだが、幸い両性類は現れなかった。
見晴台に到着。東京湾が一望できるが、伊豆半島や丹沢山塊は雲の中。  仲間が用意してくれた新鮮ヒラカナッツや自家製ブルーベリーを賞味堪能する。
トラノオやシモツケソウがヒッソリ美しかった。
目指す鋸山山頂には、12時過ぎに到達。 海抜329.5m、県内では12番目の標高とある。南は鋸南町、北は富津市。
皆が気づいた「菱形基線測点」について国土地理院に問い合わせたら、昭和39年地殻変動調査を目的として設置された測量標であるとわかった。 浮世絵師菱川師宣の「見返り美人」の里が鋸南町であることも後で知る。
さらに稜線を歩き回る。お山を縦長豆腐状に切り進んだ跡が絶壁洞窟になっているが、50m以上、垂直裁断のワザは誰も不明だった。岩壁には安全祈願の観音様が彫られていた。
有料ゾーンに入ると、巨岩の回廊舞台や、1300年前に開山したという関東最古の勅願所「日本寺」を拝観できた。
奈良より大きな日本一の大仏さまの偉観に人だかり。
さあ!汗だく歩行の後は、漁協直営の浴処でさっぱりし,漁師のお食事処『ばんや』が待っていた。海の幸+お酒に山遊人はどんなに頬が緩んだか、TVグルメ特番にまかせよう。
太古から変わらない自然の驚異、江戸初期から賑わったという石切り現場は、今は苔むした廃墟石窟になって山遊人を迎えたが、職人技の槌音に往時を偲ぶロマンがあった。
おわり



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