7月山行 和賀岳転じて女神山

日程 2005年7月9・10日(土・日) 9日曇り、10日雨
コース 9日
女神山  林道終点〜登山口〜山頂〜ブナ見平〜白糸の滝〜登山口〜林道終点
10日
雨の為山行中止
参加者 植木よ、辻橋、中村、岡田、福原、永田、植木の、喜多、大西、佐藤、石岡、中澤、山本(首都圏組) 
原田、魚住、及川た、上野、佐藤か、昆、菊池、及川よ(岩手組)
記録 山本

 地方会員との交流を目指して始められた岩手・及川会員との交流山行も早池峰山から数えて今回で5回目となった。徐々に及川会員主宰の地元岩手のプモリ山想会メンバーとの交流に発展し、当初の目的を十分満足させる山行が続いてきた。今回はプモリ山想会メンバーも登った方が少ない和賀岳ということで、首都圏13名、プモリ山想会8名、総勢21名とこれまで以上の参加人員となった。7月初旬で梅雨前線の動向が唯一の気掛かりであったが、事前の予報では曇り。期待に胸を膨らませて東京を出発したのだが、女神は微笑まなかった。

7月9日
11:25
ホットゆだ駅集合。21名全員が元気な顔で挨拶する間もなく送迎バスに乗り女神山登山口へ。
12:00
林道終点登山口手前2Kmから歩き出す。連日の雨でその先の林道で落石があり、車両通行止めになっていて、往復4Kmのアルバイトを強いられる。ゆるい上りの林道を山遊会とプモリ山想会のメンバーが旧交を温めながら進んでいく。
12:45
林道終点白糸の滝入り口(女神山登山口)到着。滝観光に来た地元の車がここまで入っていたが、我々は地元役所の指導を忠実に守り、45分のアルバイトとなった。白糸の滝入り口から山道となり、滝へと下っていく。滝への道を過ぎると急登のツヅラ折れの登山道となり、ゆっくり登っていく。ツヅラ折れの道脇の木にいろは歌留多のような木片が幾つもぶら下がっていた。地元の小学校の生徒達が設置したものらしい。(及川氏談)

「そら行こう もうすぐてっぺん がんばろう」
「ラジオの歌 楽しみながら 熊よけに」

なんとも素直な愛らしい言葉がそこかしこに掲げられていて心が和む。
13:25
山頂に続く尾根にでる。急登終了。休憩となる。ここからは緩やかな尾根道が山頂まで続く。


女神山山頂


ショウキラン(鍾馗蘭、絶滅危惧種または準絶滅危惧種
14:20
全員山頂に到着。山頂は狭く林に囲まれ眺望はない。山頂直下西側の見晴台に下りる。秋田側がバーンと開けている。しかし残念ながら本日はガスで眺望は全くなし。及川さんの西側には秋田の街が眼下に広がり、北側には明日登る予定の和賀岳が見え、真昼岳への縦走路が続いているとの説明を聞きながら心眼でじっと雲の中を見つめていた。すると、プモリ山想会のメンバーが缶ビールを1本差し出した。では皆で乾杯と、分け合おうとすると缶ビールが次々と出てきて全員に1本が行き渡ってしまった。プモリ山想会のメンバーが21本を担いできたのだ。プモリ山想会のメンバーに感謝して、遠慮なくビールで乾杯。1年ぶりの再会と山頂への登頂を祝した。ご馳走様でした。
14:24
下山開始。下りの路は山裾を巻いていくので距離はあるがなだらかな歩きやすい路が続いている。周りはブナの美林である。背丈が20m近くあるであろうか、今までに見たことのない背の高いブナの林である。登山道脇にはギンリョウソウの花があちこちに見える。まさにこの時期の女神山はブナの緑とギンリョウソウの花咲く山であった。山裾にはもみじの木が沢山あり、紅葉の時はさぞやと思わせる大変美しい山である。


ギンリョウソウ


背の高いブナ林を下る

15:30
白糸の滝への路に入り、白糸の滝、姥滝2つの滝を下から見上げた。女滝、男滝と言っていいような滝の相が違う2つの滝で、常より水量が多いようで想像以上に立派に見えた。 山中では他登山客とはまったく会わなかった。21名の数でもしすれ違うことがあれば失礼かなと思っていたが、途中で会ったのは、滝を見に来た観光客2組だけで心配は杞憂に終わった。

17:05
今朝方車を降りた地点に戻り、迎えのバスで今晩の宿「沢内バーデン」へ向かう。

沢内バーデンは7つの温泉を持つ第3セクター経営の小奇麗で、日帰り客が中心の温泉宿である。ゆっくり温泉につかり本日の汗と疲れをとる。

6時半より懇親会開始。本日の幹事及川さんから二言、三言挨拶。明日の天気予報は雨で、渡渉のある和賀岳はここで断念することが提案され、全員得心し同意する。山行は高下岳に変更となった。続いて永田会長が一言挨拶。山本の発声で乾杯。目の前に並んだ豪華な食事と及川婦人持参の山菜、砂肝などの手料理で一気に宴会が盛り上がった。明日の天気を心配しながら?夜遅く就寝。本日の女神山はブナ林の素敵な文字通り女神のようにたおやかであったが、山遊会の女神達はこの日もやさしくも、強く、たくましい母のような愛情に満ち溢れた猛者ぶりであった。


ブナ見平


白糸の滝

10日
朝4時起床。雨だれの音がすごい。TVで天気予報を確認。このまま雨が続くとの予報に残念ながら本日の山行は中止となった。思えば和賀岳へは2回目の挑戦であった。2回とも雨で中止となってしまった。1回目は日本山岳会の若葉山行(6月)で秋田側から登る予定であった。そして今回と。東京からは遠い山であるが、なんと遠い山であることか。未だその姿さえ拝んでいない。そろそろ私の中では幻の山となってしまうのではないかとさえ思われる。恋焦がれる内は華だが、幻の山となってはそうもいかない。ぜひとも早い機会に再々挑戦したいと考えている。
今年も及川さんはじめプモリ山想会の皆様には大変お世話になりました。スケジュール変更のたびに細かい配慮をいただき大変感謝をしております。またお会いできる日を楽しみにしております。


みちのく山旅随想
石岡慎介
7.07倫敦のイスラム激震が覚めやらぬ中、心の夢をよぶような宮沢賢治の世界へ旅立つ!  和賀郡その東の山の向こうは花巻,誰でも知ってる“イーハトーブ”
自身が育った豊かな自然と心ゆかしき人びとに対する思いを込めて、故郷岩手をそう呼んだようだが、平和な理想郷の意味もあるそうだ。“ドリームランドの日本岩手“とアピールした不出世の詩人も、ハンパじゃない雨にも、風にも、そして雪にもに負けず“元気になろう”と詠った奥羽山地梅雨時だが、なぜかウキウキするみちのく山行だ。
待望の和賀岳登頂に岩手岳人との出逢いを求めて7月9日首都圏から13名が参加した。北上経由ほっとゆだ駅に到着したときは、JAC会員が代表となっておられる「プモリ山岳会」の皆さんの笑顔に迎えられ感謝。分乗させていただき宿泊先から2キロの白糸の滝地点に終結する。
初日7月9日は標高995.8mの女神山登頂。その奥まったクヌギ林の中にはタワワニ実をつけたブナのお出迎え。「今年は豊作でしょう」と代表が説明される。
女神山はそれほど急峻さはなく、ゆったり迂回しているような行程で2時間くらいで頂上。他のパーティーもいて、「女神だらけだなー」と女性天下を誰か叫んでいたプモリの意味を問うと、乙女の山を意味するネパール語だそうで、エベレスト街道奥の標高7160mの高峰とか。未知の山に憧れて命名されたとか、“あねっこ”の説明を受ける。
こんな同好会のハイカラは、盛岡をモリオー,仙台をセンダート,岩手花巻をイーハと賢治が呼んだロマンにも通じるのだろうか!
豊かな樹林帯のせいか滝が豊富で明神様が祭れており、女神の霊泉としても登山者を心を癒しているようだが、雪の重みの倒木、台風流木に相当荒れていた。 宿泊先の沢内バーデンの大広間は、和やかな宴にふさわしく盛りだくさんのご馳走だが、皆さんの手作りの料理も差し入れられさらに華やか気分。山菜ミズナの煮びたし、ヤマウドの味噌和え、砂肝いためなど昔からきっと南部藩の庶民料理だろうか、地酒にもよく合い一同喜色満面。
岩手あねっこにカリフォルニアのカベルネをトライしていただいたが、次回は白(シャルドネ)も所望され光栄。
来年5月には、東根山、南昌山、箱ガ森の志波三山の温泉めぐりのお誘い。県立公園促進協議会が立ち上がり一帯を公園にすべく刈り払いにもボランティア熱心な山人であった。
宴たけなわにも、翌日の和賀岳山行がどうなるか?源流地点では渡渉もあり気象が全員気にかかっていたが、地元リーダーのご判断に一任。活発な雨雲の影響で断続的に強い雨模様で増水の懸念あり、かくて自然環境保全地域の名山との出逢いは持ち越された。
翌日は秋田街道に面した雫石町物産館でお土産あさりとなり、ゆったり時を過ごす。リーダー経営の旅館も訪問しお茶一服となったが、お庭ではノウゼンカツラが夏本番を予告していた。
同好会溜まり場のような喫茶店には、相田大明神の

     花を支える枝  枝を支える幹  幹を支える根
     根はみえねんだよな・・の禅問答に目がいく。

ポプリ山岳会と山遊会、見えない根っこのように心が交流する山旅であった。
帰路は盛岡駅へ出て、いつものカシマシ反省会。近くの地酒のお店に立ち寄り談笑しながら、津軽「赤石」のファンとか陳列品に気付く。銘酒「わしのを」をごっそり購入する岳人。そのお礼かしら四葉のクローバ押し葉に、「心」「愛」などのお習字風流をいただく。和賀にふさわしい和歌がお店に飾ってあった。

     山の子の山を思ふがごとくにもかなしき時は君を思へり(啄木)

                                       おわり


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