1月山行 奥秩父/雲取山行

日程 2004年1月24・25日(土・日) 晴れ
コース 第1日
新宿発7時43分――奥多摩着9時14分着 バス奥多摩発9時30分――鴨沢着10時10分(女性軍は車)鴨沢10時25分――小袖乗越10時45分――見晴らし11時20分・11時25分――水場11時50分(女性軍と合流)――堂所12時25分(昼食)13時――岩場13時30分・13時40分――七ッ石分岐途中14時10分(芦川さん奥様に会う)・14時20分――ブナ坂14時40分(永田さんと高橋さんを待つ)14時55分――奥多摩小屋15時30分
第2日
4時30分起床(実際には4時50分)奥山小屋5時45分発――富田新道分岐6時15分(荷物をデポ)6時25分――雲取山6時50分(ご来光を見る)7時40分――富田新道分岐8時(アイゼンを着ける)8時10分――日溜まり休憩8時40分〜50分――日溜まり休憩9時30分(二度目の朝食)10時――富田新道入口(林道)10時50分〜11時10分――八丁橋12時10分(バスの時間に合わせ休まず)――東日原バス停13時07分(東日原発奥多摩行き13時30分)――奥多摩14時。幸楽で一杯14時05分〜16時20分。奥多摩発新宿行きホリデー快速16時23分に乗る
参加者 植木信久、岡田陽子、小山茂男、菅原紀彦、高橋郁子、高橋重之、辻橋明子、土田常次、永田弘太郎 
記録 永田弘太郎

親切な夫婦の話―奥多摩昔話
雲取山山行(物語版)

これは、今年一月、山遊会の雲取山山行のときに一行
――なかでも係りの菅原および小山が経験した、不思議な出来事です。わからないところは想像力の赴くまま加筆したかも知れませんので、真の記録が必要な方は、上記の山行記録をご覧ください。


雲取山山頂


幸楽にて
 昔々、奥多摩村にそれはそれはたいそう親切な夫婦が住んでおったそうな。
 夫婦は名を芦川さんといってな、雲取山が大好きで、「奥多摩・雲取山を愛する会」を作ってな、
いつも仲間と連れだっては、七ツ石山と雲取山の尾根づたいにある雲取奥多摩小屋で遊んでおった。
 いつものことじゃった。
 ダンナの隆さんが仲間をクルマで登山口まで送っての帰り、だれか下山してきた人を駅まで送ってやろうと声をかけようとしたんじゃがな、その日に限って、隆さんが挨拶しても、降りてくる人は知らんぷりするではないか。おかしなこともあるもんだわいな、と思いながら、少し待ってみると、向こうから大ダヌキが歩いて来る。隆さんが挨拶をすると大ダヌキは愛嬌よく挨拶を返した。
「なあ、ここで会うたもなにかの縁じゃ。クルマに乗って行きなさるか」
 しかしよく見ると人間じゃった。尻尾のように見えたのは、タヌキの尻皮じゃった。
「ありがとうございます。たいへん助かります。
じつはわたしには連れがございまして」
 言われた方を見ると、やけに疲れたような足取りで、お坊さまが下りてくるではないか。おおこれはいいことをした、と隆さんは思い、ふたりをクルマに乗せてやったそうだ。
「じつは、わたしたちは山遊会の菅原と小山と申す者。来週の山行の下見に来たのです」
「それならば、その日、奥多摩の駅から鴨沢のクルマが入るところまで、皆さんをお送りしましょう。それにカカアに言って、奥多摩小屋まで、水と鍋と刺身でもあげておきましょう」
「そんな、初対面のわたしどもにそこまでしていただくわけにはいきません」
「いいえいいえ、初めての方でも旧知のように気が合う人はいます。おふたりがたいそういいお方だってことは、わかります。山のこととて、何もありませんが、ぜひお受け取りください」
 隆さんはふたりを奥多摩の駅まで送ったそうじゃ(駅前の「幸楽」だという説もあり)。

一週間後は雲ひとつない、いい天気じゃった。
 夫婦はいつもよりちょっとばかり早起きをして用事を済ませてしまうと、隆さんがクルマで女房どんを
鴨沢の登山口まで送ったんじゃ。女房どんは、魚屋に頼んでおいた刺身と、昨晩作ったきんぴらゴボウ、
それに漬け物、大きな鍋などを背負子に乗せ、奥多摩小屋に登っていった。
 隆さんが奥多摩駅にくると、一行はちょうどバスに乗るとこじゃった。一行は八人。女三人をクルマで登山口に連れて行き、男たちはバスで行くことになった。
 女たちは隆さんと菅原さんの関係を聞いたので、一週間前に会ったばかりだというと、非常に驚いておった。
 女たちを登山口で降ろしてバス停に行くと、しばらくして男たちを乗せたバスがやってきた。それから男たちの荷物をクルマに積み、男たちは手ぶらで歩いて行くことになった。
お坊さまの姿が見えないので聞くと、一本前のバスに一人乗られ、先に小屋に向かいなさったというこ
とだった。
 登山口に戻ると女たちが待っていて、男たちは三十分ほどかかるというと「それじゃ、わたしたちは先に行くことにします」という。「たぶん途中でうちのカカアに会うと思いますよ。大きな女で、背負子をしょっているのですぐわかります」とオトウが言うと、別れを言って雪の残った山道を元気よく登っていった。 しばらくすると大声でしゃべりながら男たちがやってきた。空身で歩くのがうれしそうだった。男たちにもカカアが下りてくるはずだということを言った。「七ツ石の巻道を下りてくるはずなので、そこで会えるのではないか」とオトウは言った。
 三時半ごろ登山口に迎えに行くと、女房どんが下りてきた。お坊さまと小屋のところで会って、「芦川さんの奥さんですね」と言われたので非常に驚いたという。お坊さまは手のひらをふって「不思議でもなあんでもない。菅原さんからあなたが来ると聞いていたんですよ」とおしゃったという。また、一行とは七ツ石の巻道で会ったが、六人しかいなかったということだった。

 翌日のことじゃった。その日もいい天気で、穏やかな日じゃった。
 隆さんは午後から頃合いを見て、奥多摩駅の脇にある「幸楽」へ行ってみた。一行が下りてくるバスの本数が少ないため、見当がついたのじゃ。推測はあたっており、一行は楽しげに幸楽の一角を占領して、飲んでおった。お坊さまも一緒じゃった。まるで七福神人のグループのようじゃなあ、と思いながら隆さんは勧められるままに席に着き、一行の話を聞くことになった。隆さんはクルマを運転していたため、酒は口にしなかったが、まあ、一行のよく飲むこと。あきれるばかりだったそうじゃ。
 以下は、聞いた話じゃ。
「おかげさまで、ほんとうにいい山行をさせていただきました」
「天気にも恵まれまして、尾根からは富士山がきれいに見えました」
「わたしたちは間違って七ツ石まで上がったんですが、きれいでしたよ」
「星もきれいだったわ。オリオン座の隣に、土星が光っていました」
「お刺身がおいしかった」
「きんぴらゴボウもおいしかった」
「ストーブもよかったですね。メザシ焼いたり、モチ焼いたりして、豪勢でした」
「ほんと、あの井上さんって管理人さん、よくしてくれて」
「日の出が見られてよかったわ」
「そうそう、雲取の上でね、日の出を拝みました」
「富士山も南アルプスもよく見えて」
「雪は膝ぐらいあったかな」
「帰りは富田新道から降りてきました」
「アイゼンつけて降りましたが、一部はシリセードで降りていた人もいました」
「あとはずっと、林道歩きですよ」
「凍っているところもあって」
「猿の足跡がたくさんありました。クマもいるんでしょうか」
「三時間、林道歩きましたからね、辛かった」
「いあや、ほんとに冗談の話ですが、芦川さんを呼んで、来てもらったら、なんていう人もいましてね。
いや、冗談ですよ、これは」
「わたしは菅原さんからの電話があるかも知れないと思って、待っていました。
電話があれば迎えに行こうと」
「えー!!」
 しばらくすると、ここのマスターだという人が赤い顔をして帰ってきた。祭だったそうだ。  結構酔っているのか上機嫌で、べたべたと菅原さんにくっついていかにも仲良さそうだった。
しかし男か女かわからず、不思議な人もいるもんだと隆さんは思ったそうじゃ。一行はたいそう楽しそうに奥多摩の駅に消えていったという話じゃ。


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