個人山行 男鹿岳分水嶺踏査

日程 2004年11月6日(土)〜7日(日)晴
コース 男鹿峠6:10〜1450m地点7:18-25、〜栗石山8:25-45、〜男鹿岳9:30-10:05〜栗石山10:50―11:05、〜1380m地点11:40-50〜男鹿峠12:30 昼食、片付ケ13:30帰路。
参加者 辻橋、岡田、植木よ、永田、菅原、土田、斎藤、武藤、牧田、植木の  計10名
記録 植木信久

 当初、16名の参加者を予定していたが、中越地震の心情を察し自粛された方もいて、個人山行として10名の山行となった。 この山は、この時季ものすごい藪とツル草に覆われルートを見つけるのが困難と思い、また、参加者が多いため、係りの責任として10月23日〜24にかけて下見に行った。 
案の定、尾根は根曲がり竹 、ツル草の藪コギでルートファンディングに手間取り、9時間強かかった。その翌日2人の登山者がこの山で遭難し、帰らぬ人となったぐらい手強い山域です。この下見についていろいろご批判あったことは残念です。足並みが揃えば、皆でルートを探しながら行くのが本筋かも知れません。
皆様のルートを探す楽しみを残せなかったことは自責の念に耐えませんが、賛成していただいた方に感謝。
11月6日男鹿峠(標高1259m)に16時着、早速テント設営、カナッペ、おでん、キムチ鍋の支度をしながらキャンプファイアを囲み、めちゃ楽しい団欒のひと時を過ごした。満天の星が私達を歓迎してくれた。やや、飲みすぎた方もおったそうだが、何事もなく一夜があけた。一人最後まで火の始末をして下さった方、有難う。
11月7日風邪の1名を残し9名で早朝6時10分出発、ガスがかかり周りの山は見渡せない。藪コギの連続でやっと1450mで一休み、間近の家老岳も栗石山の山頂も霞んで見えない。これから、まだヤブ漕の覚悟をしなければならないだろう。 斜面は相変わらず急で、朝露で濡れ、寒さを感ずる。登り詰めると1701m峰栗石山である。オオシラビソの木にM型の青い小さなブリキの標識が付けられていた。眼前に男鹿岳の山頂がぼんやりと見えてきた。ガスがなければ、右手奥に鹿又岳、日留賀岳が連なり、また、西側に七ヶ岳、荒海山も指呼の間だが、望まれない。ここから一旦下って、鞍部から西側の尾根を忠実に登り返すと3等三角点標石のある頂上(1777m)に達した。東方面に那須連山の茶臼岳の眺望を楽しんだあと10時05分、念願の男鹿岳頂上を後にした。帰路は下見で付けたテープをはずしながら、根曲がり竹につかまり、転びながら、男鹿峠に12時30分に着いた。下見の時と違い大幅に時間短縮され余裕をもって下山できた。2日間10人だけの貸切りの山であった。お陰さまで、全員、怪我もなく無事男鹿岳に登れた感激は記憶に残るところです。栗生沢集落からの林道はかなり荒れているので要注意。さて、残雪期はどこまで車がこの林道に入れるのでしょうか??





男鹿岳感想文(斎藤知茂)
 朝11時に埼玉の家を車で出発した。天気は、うす曇である。
参加者10名(女性3、男性7)は、男鹿高原駅から都合3台の車に分乗して登山口に向かった。
中越地区で地震が続いている最中なので、この山行は急きょ個人山行に変更になったため当初の予定より参加人員が減っているとのことである。
今回のアタックルートは、前回とは反対側にあたる栗生峠側からである。
5月に、山王峠から大倉山を過ぎたところまでアタックしている。そのときの印象は、藪漕ぎで凄いと聞いていたが、たいした藪ではなかった。その先入観があったので、事前の気持ちは大分ゆとりがあった。
舗装の切れた林道を車で約1時間ぐらい入らなければならない。道は、落石もあり、小生の車ではかなり厳しかった。普通車ではここはちょっと無理があると思う。
林道は途中栗生峠で行き止まりになっていて、そこはちょっとした広場になっている。そこにテントを4張り張った。
まだ5時なのに真っ暗だ。やがて、おでんをはじめ、いろいろな鍋料理が出来上がった。
アウトドアで食べる食事はどうしてこんなにおいしいのだろう。アルコールは例によって種類、量とも豊富だ。
夜に入ってからは、すっかり晴れ上がって闇が濃くなるにつれて満天の星空となった。
かなり冷え込んできたので、枯れ枝を集めてキャンプファイアーをやった。
食卓テーブルのセット、カンテラの照明、テントの張り方、食事の作り方、焚き火の仕方、またその後の片付けなど、とても勉強になる。
例のごとくいつものエンターテナーがしっかり盛り上げてくれる。
すばらしいシチュエーションとすばらしい仲間の集い、これだけでも大満足だ。
朝、5時半起床で簡単に食事してルートにアタックを開始する。かなりきつい藪漕ぎだ。また斜度もきつく、ふくらはぎが突っ張る。山王峠側のルートとは比べ物にならない藪だ。
藪は、背丈くらいの高さでびっしり生えているので足だけでなく身体全体での藪との格闘である。5分もしないうちに嫌気が差してきた。
いつ足がつるか、とても頂上までは持ちそうにない感じがした。行けるところまで行ってリタイアさせてもらおう、それだけを思っていた。
ルートは藪に埋もれているが、Uリーダーがあらかじめ沢山のマークをつけてくれていたので安心できた。
藪漕ぎの際に、特に眼鏡使用者は注意が必要だ。藪を払いのけるとき弾みで眼鏡を飛ばされることがあるからだ。
途中数回眼鏡を失いかけたが、メンバーの方々に助けられて幸運にも見つけることが出来た。眼鏡に紐をつけておくべきだったと反省している。
ルートを進むにつれ、笹の背丈が少し低いところもある。高度を増せば藪がだんだんやさしくなるだろうという希望を時々持たせてくれもする。
一歩一歩進むうちに、栗石山のピークに着いた。ガスが立ち込め視界が悪い。
朝露でズボンはびしょ濡れ、雨の中を歩いてきた感じだ。出発時に食べた大福が利いたのか、体力は大丈夫そうだ。
ここからは、あと約70m登れば男鹿岳頂上に着くことができる。その気持ちがチャレンジへのファイトを燃やしてくれる。
やっとの思いで男鹿岳頂上までたどり着くことが出来た。
9時30分、約3時間半の格闘だった。みなと手袋をはずして握手を交わす。標高は低いが感動の一瞬だ。
頂上は平坦で笹薮に覆われている。結局、男鹿岳は頂上まで一貫して藪に覆われていた。
もう少しで藪がなくなるだろうという気持ちに騙されての登頂だが、達成感でいっぱいだ。視界がだいぶ良くなり、東に那須連山の茶臼岳が冠雪しているのか輝いて見える。
30分ほど、頂上を楽しんだ後下山に取り掛かった。
降りは、やはり藪に悩まされたが約2時間半で下山することが出来た。
下山途中の休憩時にあるメンバーがブナの幹に付いた熊の爪あとを発見した。新しいものではなかったが、確実に熊が生息している証拠である。
何人ものザックに、熊よけ鈴が付いていたのでこの点も安心できありがたかった。
動物の気配については、このほかに鹿の鳴き声を聞いた。また、テントで就寝中に風の音か動物の動く音かはっきりとはわからなかったが、テントの外側の頭のすぐ近くでがさがさともの音がして目が覚めてしまった。頭をかまれないように手で頭を抱えてじっとしているうちに、また眠ってしまった。
きっとこの森ではいろいろな動物が、近くでわれわれをじっと伺っていたのではないかと感じた。
男鹿岳は数日前、ルートを失った2名の遭難者が遺体で発見されたばかりだった。
深い藪は、入山を拒否しているかのようであり、迷いやすいし、ちょっと迷い込むとルートに復帰するのはかなり難しいと思われた。
小生が無事目的を達成できたのはUリーダーをはじめメンバーの皆さんのおかげと感謝している。
男鹿岳踏査の本番時には、適度な積雪で、やさしくわれらを迎えてくれることを祈りつつ、男鹿岳を後にした。



          「男鹿(おじか)岳(だけ)」分水嶺踏査、そして“夜明けのランデブー”         岡田陽子

■ 11月5日の朝日新聞夕刊から・・・「“金星と木星、大接近― 夜明けのランデブー”」・・・5日明け方、競うように輝く金星と木星が東の空で“二アミス”した。地球から見える方向がたまたまそろったためで、見かけ上、満月の直径程度まで近づいた。今後は徐々に離れていくが、10日明け方には細い月を挟んでの競演となる。
「男鹿岳」踏査の7日、朝5時、この金星と木星が接近する天体ショーを期待してテントを出たが、うーん。残念!周りは朝霧に包まれ何も見えない。昨夜の満天の星に気を良くして、明け方も又・・・などと期待するのは甘かったようだ。
立冬を翌日にひかえた6日、さすがに夜の冷え込みも増した男鹿峠(1259m)の満天の星空の下での焚き火は最高だった。翌日の暁の天体ショーまで期待するのは贅沢というもの。
キャンプファイヤーを囲みながらのおしゃべりと歌・・・。上空の天の川の真ん中にはカシオペア座とペルセウス座。横にはペガススの四辺形。そして一瞬、大きく輝いた“流れ星”。今宵のメニューはフランスパンの上にバジルとオリーブ漬けトマトをのせたカナッペと“おいしいお水”。そして、「おでん」と「キムチ鍋」の豪華なご馳走。上空に宇宙の神秘を感じながらのキャンプファイヤーは半端じゃなく、すばらしかった。

■ さて、肝心の男鹿岳分水嶺踏査には9名で6時過ぎに出発。ネマガリダケ、ツルが繁茂する道なき道を、目印の赤いヒモに助けられて栗石山めざしてひたすら登る。快調にグイグイ登って行く植木リーダー。ヤブがあまりにも深く、方向を見失うことも二度、三度。身の丈を超えるほどのネマガリダケをかき分け、かき分け、必死でついて行く。うっかりタケ類に足を乗せようものなら、スベリ台のようにツルッと滑り、ドサッ!・・・。跳ね返った枝が幾度も顔や目に当たる。一度休憩して、ようやく栗石山(1701m)へ。ブナの多い山だが、山頂にはオオシラビソが数本どっしりと立っている。そこからいったん下って、目的地の男鹿岳(1777m)に向かう。朝霧の中をズボンや手袋をビショ濡れにして9:30到着。三等三角点標石が埋設されており、記念撮影。ガスが上がり始めた那須連山の眺望をみなで楽しむ。先週、二人の中高年がこの山で遭難(道迷いで疲労凍死)したそうだが、捜索隊が入ったのか、あちこちササが薙倒されている。帰路はベースキャンプで留守番をしている風邪ぎみの辻橋さんが心配で、永田さんが先頭になり駆け下りる。帰途、はずした赤いテープの量が半端ではなく、改めて厳しい山だったのだと実感する。帰りも少し迷いかけながら、無事生還。

■ 日本山岳会が05年の創立100周年の記念事業の一プランとして企画した約2000Kmにおよぶ中央分水嶺踏査。―― 「分水嶺の多くは登山道がなく、ヤブこぎ覚悟で臨むか、積雪期、残雪期しか歩けないところもある。然しながら山岳会の伝統的に息づく困難への挑戦、パイオニア精神を活かせる唯一の国内登山ともいえる。鋭意を持って望む価値ある行事ではないだろうか。」――「う〜む、困難への挑戦か。これは是非、参加せねば・・・」とエントリーした男鹿峠〜男鹿岳の分水嶺踏査だったが、身の丈よりあるネマガリダケをかき分け、必死の形相で登った今回の山行は、まさしくパイオニア精神を活かせる?山登りでした。今度は4月下旬、残雪期に男鹿峠〜男鹿岳〜大倉山〜山王峠、もしくは反対コースだそうですが、是非、参加してみたいものです。
■ ところで、男鹿岳から戻った三日後の11月10日(水)早朝5時、家のベランダから、東の空に「木」「月」「金」が一列に並ぶ、美しい天体ショーを見ました。暁の空に金星、三日月(下弦の月)、木星が斜め一列に並んで美しく輝き、すばらしい大スペクタクルでした。

■ 今回、下見(ルートファインティング)をしっかりしてくださった植木さん、美味しい食材を用意してくださった植木夫人、車を出してくださった方々、テントをお貸しくださった方々、ありがとうございました。いい山行でした。



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