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三方ヶ原基線探索

北野忠彦  

4月19日(曇)
 浜松9:40集合。 駅前で車をレンタル、市内でちょっと道が分かりにくかったが浜松城跡前を抜けて一路北西へ。西山の病院先で南西へ下ると、セブンイレブンの一角に三方ヶ原基線南点 神ヶ谷があった(N33°44′04.6″ E137°40′26.1″ H43m 磁針222°)(34°44′04″ 137°40′25″9908 37.17m)。

基線南端・神ケ谷

この後、基線の跡と思われる直線道路を進み、三方ヶ原用水を越えたところで北上、都田(みやこだ)浄水場東側の果樹研究センター西はずれの小さな盛り土の上に都田村北端点が立っていた(11:45着)(N34°48′40.3″ E137°44′50.3″ H87m 磁針320°)(34°48′40″6831 137°44′50″1588 85.91m)。

基線北端・都田村

 その後、都田総合公園内で昼食、都田川沿いに引佐に向かう。引佐の神宮寺川から富幕(とんまく)川が分かれたしばらく先、奥山高原の少し上まで車が入り、ここから登り始めた。すぐに4等点N34°50′58.7″ E137°36′10.3″があ、りあとはほぼ直線的に登り、バラボラの建っている富幕山(とんまくやま・点名富巻山)山頂に着いた(14:30)(N34°50′58.6″ E137°35′13.9″H572m 磁針0°)(34°50′58″5588 137°35′13″8862 563.24m)。

西側一次拡張点・富幕山

あとはひたすら天龍川沿いに北上し浜松市天竜区(旧天竜市)のカヌーの全国大会の拠点の宿になるという「湖畔の家」に泊まり美味な食事を満喫した。

天竜川沿いの「湖畔の家」にて
4月20日(曇り後一時雨)
 天竜川右岸を北上、秋葉トンネルを過ぎ、白倉川を遡る。白河集落の白倉峡の案内板を過ぎた、県道がヘアピン状になった六つの沢出会いに道標があるのを見つけ、車をおいて林道沢沿いに上がる(9:00)。林道を20分ほど上がると左手にトレースがありそこをたどる。かなり荒れた樹林帯のなかをしばらく登りようやく尾根に出る。そこから急登10分白倉山の頂上だが展望は全くない。(10:55)(N35°00′35.2″ E137°46′19.9″H1027m 磁針336°)(35°00′35″1097  137°46′19″8764 1027.14m)。

二次拡張点(北側)・白倉山

元の道を下る途中、県道に出る手前で雨が降り出したが白倉山の三角点を確認できた満足感で今回の最後の地点上野巳新田に向かう。天竜川横山橋から左岸に移りひたすら左岸を走る。磐田市に入り食事をしようとうろうろしたがなか見つからず、今日で店じまいという店で遅い食事にありつけた。
 1号線から外れ南側に回り込んだので北に向って上がる。二差路から三角点に向かったがかなりな下りで点とはほど遠い地形で、少し戻り左手の住宅地に入った先に公園が見えた。一帯が古墳公園で、左 手奥の高い古墳の上が上野巳新田(うわみのしんでん)だった
(N34°43′24.5″E137°50′20.9″ H30m  磁針0°)(34°43′24″3018 137°50′20″8671  33.43m)。

 2日間の車の運転、近藤さん、今井さんありがとうございました。お疲れ様でした。
参加者7名(今井、近藤、関野、高橋、鶴田(實)、鶴田(泰)、北野)

備考
磁針:コンパスを三角点の縦軸に合わせて設置したときの磁針(赤)が示す角度
後の( ):一等三角点全国ガイド(ナカニシヤ)から引用の値 (北野 記


三方が原基線探索行

近藤善則

  AGCが発足して10年が経過した。思えば結成して最初の探索行は、相模野基線網を訪れるものだった。まず基線の東側、一次拡張点(高尾山)に向かい、全体を俯瞰してから基線南端へ さらに中間点を通り北端点に向かい、次の機会に西側の一次拡張点とその元の位置鳶尾山と続き、基線探索の面白さがAGC活動の一翼を担うものとなった。 その後、那須基線や須坂基線などを尋ね、久しぶりの今回は、三方が原基線(みかたがはらきせん)を尋ねることになった。
全国14箇所ある基線の中で三方が原基線は相模野基線に次ぐ2番目に古い基線で1883年に設けられ調査が始まった。(相模野基線はその1年前)

 当初8名の参加予定だったので、レンタカーで各点を巡ることとし、初日は、浜松駅に集合。急遽1名が体調を崩し参加できなくなったので、都合7名が駅前から10人乗りのワゴン車に乗込み、最初の予定地 基線南端「神ケ谷」に向かう。
 見知らぬ土地でも地図があればたやすく目的地に行ける筈の地理クラブであるが、車となるとなかなか思うように進路が決まらず、市中をさまよいながら、いよいよ備え付けのカーナビの手助けが必要となり、なんとか第一の目的地にたどり着いた。
 悔しいかな、その後全面的にナビ嬢の指示に従う僕と化したことは言うまでもない。
 さて第一の基線南端点「神ケ谷」はコンビニの駐車場角にしっかりとブロック囲いの中に鎮座していた。説明の看板も完璧。北端点「都田村」まで約10.8kmの正確な距離が実測され、東海地方の地図測量の基礎となるのである。
 現在の地形図には、この地点から北端点に向けてまっすぐ道路が伸びている。おそ.らく基線のなごりではないだろうか?

一等三角点 神ケ谷(かみがや)

基準点コード
TR15237057401

1/2.5万図(20万図)

浜松(豊橋)

経緯度

N34°44′04″.5956

E137°40′25″.9908

標高

37.17m

所在地

浜松市西区神原町字神原816-1

次に北端点「都田村」に向かう。
 浜松環状線経由で大きく迂回するルートで誘導されるが、なんのためらいもなく言われるがままに車を走らせる。三方原は徳川家康と武田信玄の戦で知られているところだが、特に戦の跡が残っているでもなく、小さく石碑が置かれているだけだと聞き、すんなり三方原町の交差点を過ぎる。なおも北上するとやがて都田の地名がでてくる。浄水場の隣が果樹研究センター。この境界あたりに、こじんまりと盛り土の上に目的の三角点が置かれていた。南端点にくらべると、扱いの差が歴然だ。もうすこしましな設置はできなかったのだろうか?

一等三角点 都田村(みやこだむら)

基準点コード
TR15237166701

1/2.5万図(20万図)
笠井(豊橋)

経緯度
N34°48′40″.6831

E137°44′50″.1588

標高

85.91m

所在地
浜松市都田町9450-1

 昼食の頃となったので、各自弁当を持参しているので、どこか休憩できるところをと地図をみると、次に行く富幕山の途中に都田総合公園があるので、まずそちらに向かうことにする。いちばん奥らしきところが駐車場になっており、東屋に向かうと、古墳があった
 看板には見徳古墳とある。7世紀ごろに作られた円墳である。しばし古墳のある広場で昼食を取り、次に 富幕山(とんまくやま)に向かうことにする。
三方が原基線の西側の拡張点である。今回の探索では初めての山らしい道を歩く。奥山高原の林道に入り、峠付近の駐車場から登山道を歩く。その先に林道が延びているようだが、ガイドではここからが正規の登山口のようだ。遊園地になっているのか、観覧車の先を回りこんで比較的整備された登山道がつづく。中継アンテナの建つ頂上まで林道が延びていた。富幕山三角点はである

一等三角点 富幕山(とんまくやま)

基準点コード

TR15237241701

1/2.5万図(20万図)

三河冨岡(豊橋)

経緯度

N34

E137°

標高

563.2

所在地

浜松市

往路をとってかえし駐車場まで1時間弱。
今夜の宿 天竜川沿いの「湖畔の家」に向かう
船明ダムが作る堰止湖で、殆ど河川と変わらないような湖沿いを国道と対峙しながら月という集落にある市の施設のようだがどんなところか?興味津々
ついてみると思った以上に立派な施設で、結果は正解とでた
夕食は手をかけた料理に感激。公共の宿にも関わらず、おもいがけない おもてなしの料理だ。
翌日、出発前に記念写真
そのまま川べりの道を、白倉峡登山口に向かう
思わず見過ごすところだった登山口だが、道筋の広いところに車を止めて、歩行開始
二次拡張点北側の白倉山は標高 1027m、今回のメイン登山である。

一等三角点 白倉山(しらくらやま)

基準点コード

TR15237460201

1/2.5万図(20万図)

中部(豊橋)

経緯度

N34

E137°

標高

1027.1M

所在地

浜松市

つぎの目標地は1次東側拡張点の上野巳新田 に向かう

一等三角点 上野巳新田(うわのみしんでん)

基準点コード
TR15237066701

1/2.5万図(20万図)

磐田(豊橋)

経緯度

N34°

E137°

標高

33.4M

所在地

浜松市

一路、浜松駅から 帰郷した

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