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映画「釼岳 点の記」(明治39年)の時代考証         

映画「釼岳 点の記」は、一応ヒット作品といえるが、事実と異なる点や原作と異なる点 などなど、この作品をめぐるさまざまな議論が花を咲かせている。

地理クラブにおいても、関連する話題に無関心ではいられない。特に地図をつくる当時の測量状況面では気になる点が多い。

その幾つかを拾ってみた

1、測量関連

1-1 「点の記」の説明

 映画冒頭の説明テロップで、「点の記とは−−−地図を作るときに基準となる場所に埋められた標石を三角点という。それを記録した日記である」 としているが、点の記は日記ではない。れっきとした公文書であり、選点、埋標、測量 の日時や姓名を記した重要な書類であるのに、日記という表現は不適当。この作品の重要なテーマであるのに、いくら一般人への説明としても、誤った表現であり、全体を台無しにしている。
 また、終盤、釼岳四等三角点観測時に生田が「我々の仕事は点の記に載らない・・・・」と言っているが、日記と説明していることと矛盾した表現である。ちなみに原作では、次のように説明している。

 点の記とは三角点設定の記録である。一等三角点の記、二等三角点の記、三等三角点の記の三種類がある。三角点標石埋定の年月日及び人名、覘標(測量用やぐら)建設の年月日及び人名、測量観測の年月日及び人名の他、その三角点に至る道順、人夫賃、宿泊設備、飲料水等の必要事項を集録したものであり、明治二十一年以来の記録は永久保存資料として国土地理院に保管されている。
 なお、一般的に点の記というと三角点についての記録であるが、多角点、水準点、磁気点等の測量標にも点の記が残されている。   (新田次郎著「剱岳〈点の記〉」より)

1-2 測量作業風景

 柴崎が観測中に小島烏水らから話しかけられて、観測途中に雑談を始めた。
気象条件が変わらないうちに短時間で観測を終えることが求められているのに、極めて緊張感に欠けた場面と言わざるをえない

1-3 「点の記」のファイル化された書庫風景

 測量が始まったばかりの時期であるにも関らず、整然と大量のファイル風景は不自然。実際にはあのような整然とした状態ではなかった。(単に綴り紐で綴じられていた程度)

1-4 陸地測量部での服装

 陸軍は庁舎内において、軍刀の帯剣はしないが、映画では陸地測量部室内で帯剣していた。

1-5 陸地測量部内の測量機材の保管状態

 測量機器がむきだしのまま棚に並べてあった。精密機器の保管としてはありえない。(技術系の職場を演出するためなのかもしれないが・・・)

1-6 三角点柱石の刻印

 旅館の庭で作業の準備をしている場面で、三角点の柱石に「基本」という刻印があったが、当時の柱石には「基本」という文字の刻印はない。
戦後、地理調査所で測量法の施工時から刻印するようになった。

1-7 家での仕事風景

 測量成果簿を自宅に持ち帰って仕事をしていたが、重要書類を庁舎外に持ち出すことは厳禁である。

2、登山関連

2-1 柴崎が背負っていたリュックザック

 このタイプはキスリング型で、昭和4年に登山家の槙有恒と松方三郎がスイスから持ち込んだものであり、明治時代のリュックサックはオムスビ型のものである。
 また同じ日のシーンであるにも関らず、カットごとに異なるタイプのものを背負っていた

2-2 小島烏水が自慢していたストーブ

 1910年代のスベアのカタログにも、123型ストーブは未だ登場していない。また、小島烏水らの近代登山の演出・・・にしても不適当。

2-3 日本(にっぽん)山岳会と強調した台詞

 創立当時 日本山岳会とは称しておらず、単に「山岳会」と呼ばれていた。日本とついたのは1909年(明治42年)からである

3、そのた

3-1 機関車の汽笛の音

 国鉄の機関車9600型(ハチロク)までは短汽笛である。(♪ピイーツ)
映画ではそれより旧い機関車の設定であるのに複汽笛の音であった。(♪ポーツ)
ちなみに8600型は、1911年(明治44年)にアメリカン・ロコモテイブ(アルコ)社で製造された機関車である。

(まとめ 関義治)

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