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2012年度ハイキングセミナー

第3回 座学「トラブル・遭難対策」、2012年10月3日(水)実施、受講者9名、支部会員6名


 第3回ハイキングセミナーは、対象をこれまでの参加者(昨年度5回と今年度2回)とスポーツ店2店のチラシを見た人に限定した。座学を10月3日()18時半から21時まで、静岡労政会館の視聴覚室を借りて「トラブル・遭難対策」のテーマで行った。参加者は実技だけという人を除いて9名で、講師は元静岡市消防局山岳救助隊長の平野雅俊会員でプロジェクターを使って行った。遭難統計で遭難原因を天候、体力、その他道迷い等に分類して示し、その他各種のデータを示してから遭難対策を教授して最後に遭難した場合(特に、静岡市内、県内、南アルプスで)、警察に連絡すると共に消防に連絡して欲しいと告げた。消防の場合、事故処理でなく人命救助に向かうので生きていれば消防署に連絡して欲しいと話した。会員は久保田支部長、講師の平野会員、杉本()、有元、廣澤、岩崎の6名が参加した。

 1時間ほどの座学の後、10月13日()14日()の実技「初冬の富士登山」のミーティングを行った。ミーティングは当日まで直前に10月1,2,3日と3連登している有元会員が主に行った。「服装について分からないから有元さんが着ているものを持ってきて欲しい」という声もあったので、持参して示した。10月中旬だからこうだではなく気温、天気によって、その年、その日によって異なるということも伝えた。また1997年10月6日の少し剣ヶ峰に雪の残る穏やかな天気の時の写真を見せておいて、また別の2007年10月7日の山頂奥宮前に雪が積もり凍っている写真も見せて理解をはかった。山小屋に泊まったことがない人もいたので食事のこと、トイレのこと、混み具合等についても説明した。最後にアイゼン&ピッケルワークについても学習した。アイゼンの付け方、注意点、歩き方、耐風姿勢等についても学んでもらった。21時の閉館ぎりぎりまでみっちりと学習した日だった。


第3回 実地「初冬の富士山」、2012年10月13日(土)〜14日(日)実施、
               受講者9名、支部会員8名
 

 さて実技の13日()晴天の13時、静岡駅南の東海軒会館前にキャンセル2名と、都合で現地に集合する1名のセミナー生と現地集合の会員4名を除いて集合。13時過ぎに出発。東名から清水JCTを経て新東名に入り、清水PAで休憩。富士宮市内のコンビニに寄った後、予定より早く15時半に富士宮口新5合目に着き、久保田支部長等と合流した。

 トイレ休憩と各自軽くストレッチをしてもらった後、新6合目の「宝永山荘」に向かった。16時過ぎに宝永山荘に着き、先着していた長田支部長代行、諏訪部会員と合流した。夕食は、山荘のサービスでお酒の差し入れ、鴨刺し、もつ煮込み有り、生ビ−ルは割引、と至れり尽くせりだった。宴たけなわの頃、實川欣伸会員がこの日の2登目(通算1382回)を終えて山荘に到着した。宴は、自己紹介を交えながら美味しく楽しい時間を過ごした。




 

 14日()予定の5時半、明るくなった頃、曇りだが悪天ではなく穏やかな天気のなかを出発した。本6合小屋跡に5時54分着。初めての富士山でもあり、昨年山登りを当会のセミナーで始めたばかりの長田(ながた)さんが遅れ気味だった。新7合目に6時24分着。この日2登やる三島の小松さんが1登目を終えて下ってきた。後で小松さんには少しお世話になる。



この辺りで先発と後発に分かれるようになってきた。元祖7合目に7時7分着。後発部隊と連絡を取る。後発部隊は2隊に分かれ、諏訪部、岩ア会員と小柳さん(男性)と、初めての富士山の青山さん(女性)が第2パーティーとなり、第3パーティーとして長田(ながた)さんに長田(おさだ)支部長代行が付き沿う形になっていた。

8合目、7時50分着。曇りだが暖かい。やがて晴れ間が見えてくるようになった。9合目、8時36分着。晴れた。今年8月11日に1000回登頂を果たした佐々木茂良さん(神奈川県秦野市在住、72才)が登ってきた。

9合5勺に9時8分着。快晴になった。久保田支部長と支部長の同級生渡辺さん(女性)がやや遅れ気味だった。胸突き八丁はしんどいから小休止を2本取ります、と言っておいてその通り2本の小休止で水分、糖分を補給してもらい9時53分、頂上お鉢浅間大社奥宮に着いた。一番若い成岡さん(女性)、滝さん(女性)、赤堀さん(女性)、黒田さん(男性)、釜田さん(男性)のセミナー生5人と有元、實川、小笠原、石間の会員が登頂した。ややあって支部長と渡辺さんが登頂した。相次いで写真を撮った。支部長達がくる前に右の駒ヶ岳も8つのピークの内の一つですから登ってくださいという言葉で数人が駒ヶ岳に登った。



 ここで下るという支部長と渡辺さんを残して剣ヶ峰に向かった。標準タイムの20分より早いくらいで剣ヶ峰に10時38分到着。記念写真を撮った後、剣ヶ峰の先へ出て展望を得た。北東側の日光方面の山は良く見えなかったが、南ア、中ア、北ア、八ヶ岳、頸城の山、上信越国境の山、奥秩父の山々と、ほとんどの高山を眺めることが出来た。


11時過ぎ、剣ヶ峰を後にした。富士宮口頂上に戻る前に三島岳頂上に黒田さん、滝さん、成岡さんと小笠原、有元が立ち寄った。11時11分だった。その時、第2隊が下を剣ヶ峰に向かっていた。郵便局裏で待っていた赤堀、釜田、石間、實川の面々と合流。晴天が続いていて暖かくて良かった。11時20分前に富士宮口頂上を後にした。

9合5勺まで登山道を下って9合5勺の上から膝に優しいブル道を下った。ブル道の分岐点に注意しながら下っていたら9合付近を長田(ながた)さんと長田(おさだ)さんが登っていた。登頂は諦めたと思っていたが登っていた。よく頑張ったと思う。下山後は長田(おさだ)さんが長田(ながた)さんを三島駅まで送るから小屋とバスにある長田(ながた)さんの荷物を長田(おさだ)さんの車の下に運んでおいてくれということで「分かった」と応えて下った。實川会員は両長田さんのサポートのために再び山頂に登り返して行った。

 

 約2時間で新6合目宝永山荘に戻った。それから各自暖かい物を頼んで食した。なおまた、小屋仕舞いが近いので生ビールの値を更に下げて1杯500円にしてくれたのでおいしく頂き、多い人は4杯も飲んでしまった。

やがて第2隊も下りてきた。第2隊の食事が済んだ後、マイクロバスで帰るセミナー生及び会員は荷をまとめて新5合目へと下った。

第3隊は、9合5勺でその日の第2登目だった小松さんに会った。長田(ながた)さんの下りをこの小松さんにもサポートしてもらい、16時に宝永山荘に戻って来た。

 同じ頃、マイクロバスは新5合目を後にした。久保田支部長を途中で降ろして18時過ぎに静岡駅前に戻った。ここで解散したはずだが東海道線の下りが人身事故で止まっていて動かない。2時間は動かないだろうということで下り線で帰るメンバーと有元、小笠原は居酒屋で祝杯を挙げた。(有元記)

 

[第2パーティー]

 少し涼しい程度の風の中を進んで行ったパーティーは新7合目過ぎにセミナー生の長田(ながた)さんが遅れた。それには長田(おさだ)会員が付き添うことになった。

 15人となった先頭集団は結構良いペースで登って行った。しかし元祖7合目を過ぎた辺りで今度は青山さんが遅れだしたので岩崎会員と私(諏訪部)が行動を共にすることにした。青山さんと同じ静岡ワンゲル所属の小柳さんも付き添うと言うのでここからは4名で登ることになった。

 小柳さんは今回最高齢の76才とのことだが経験も体力もあり、終始余裕の歩みだった。青山さんは1年前から登山を始めたとのことで乗鞍岳がこれまでの最高所とのこと。昨夜の寝不足もあってペースが上がらない(実は私もあまり眠れなかった)。



「この先は天候・体調・時間を考えながら登れる所まで行こう」ということになったが本人も「とりあえず8合目まで行って見ます」と謙虚だ。8合目で3250bを越えるので各小屋での休憩はしっかり腰を下ろして体力の回復を待つことにした。また9合目からは10分に1回程度の立ち休みをはさんで呼吸を整えながら登った。

9合5勺の先で下山して来る秦野市の佐々木さんと遭遇した。青山さんは佐々木さんがどんな人か良く知らないようだったが「良い記念だから」と二人の写真を撮った。





胸突き八丁の苦しい登りをゆっくり進み、山頂直下の鳥居をくぐった。11時ちょうどだった。その先、浅間神社山頂奥宮が見え出すと感極まった青山さんの目から涙がこぼれた。頑張った自分に感激しているのだろう。そう、良くやったね。



浅間神社の前で4人で記念撮影。この調子なら剣ヶ峰にも行けそうなので大した休憩も取らずにそのまま向かう。途中で第1パーティーとすれ違った。皆元気でそして実に満足げだ。

測候所下の急な斜面は、初めての青山さんにとっては登り辛かったようだがゆっくり登って剣ヶ峰に到着。記念撮影後は大沢側の展望所に行って見る。南アルプスが目の前に、中央アルプスがその奥に、そして右手には八ヶ岳と北アルプスが遠望でき、登った感激も倍加した。青山さん、これから登る山がいっぱいあるね。







下山は山頂部からブル道を忠実に辿ったがなるほどこの方がヒザやモモに負担が掛からない。ただし砂埃を巻き上げるので次回はマスクを持参した方が良いだろう。

 予定していた山頂お鉢巡りは時間不足で割愛となったが何とか全員山頂に導くことができて良かったと思う。(諏訪部記)


[第3パーティー]

 宝永山荘を出発する時から「心配だわー」と言っていた浜松の長田(ながた)さんが遅れだした。彼女は支部主催のこのハイキングセミナーに熱心に参加してくれている。何とか山頂まで登らせてあげたいが途中で断念することもあるだろう。そこで前日山頂まで1往復しているので途中下山となっても諦めのつく私、長田(おさだ)が彼女をサポートすることにした。

 幸い彼女には
高山病の気配はなく、本人も「頂上に行く!」と強い意志を示す。本隊とは大分差を付けられたが時間の余裕があったので引き続き登高する。

 9合目に着く頃には本隊は既に頂上からブル道を下っていた。双方至近距離となり、大声で交信した内容は「第3隊は引き続き頂上を目指す。本隊は宝永山荘のベースで待つことなく先に下山して静岡に帰る。長田(ながた)さんは三島駅から電車で帰ってもらう」という内容だった。

 9合5勺に到達すると實川会員がサポートに加わってくれた。さらに彼の友人の小松さん(この日2登目、三島市在住)も同行してくれ、長田(ながた)さんのザックを背負ってくれた。

 都合4名となった第3隊は、最後の胸突き八丁を登りきり、本隊から遅れること3時間後の12:50に浅間神社山頂奥宮に達した。第2隊の青山さん同様に長田(ながた)さんも良く頑張った。しかし剣ヶ峰往復は時間的に無理と判断してここから下ることにした。新6合目宝永山荘16:00着。若干の休憩後、夕闇迫る新5合目に下った。



       左から實川会員、長田(ながた)さん、小松さん、ここで出会った他の登山者3名

一般参加者を交えた登山は、参加者それぞれの体力差があり、また気象などの自然環境変化を考慮すると慎重にならざるを得ない。富士山は高度差があって、気圧、気温、風などの状況によっては安易に登らせてくれない時がある。幸い今回は天候も良く、時間も許したので何とか登りきることができて良かったと思う。(長田記)


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