つくばさん

筑波山(877m)は、かつて「西の富士、東の筑波」といわれ、東国の名山として親しまれてきました。複数のルートがありますが、筑波山神社から酒迎場分岐、弁慶茶屋跡を経て女体山山頂に向かう白雲橋ルートは、筑波山の豊かな自然と、「弁慶七戻り」「高天原(たかまがはら)」「胎内くぐり」など、名前も楽しい巨岩、奇岩の数々を楽しめます。ファミリー向けで、筑波山の魅力をいっぺんに楽しむことができるコースといえるでしょう。

   
筑波山遠景   春、中腹では梅祭りが楽しめます   筑波山神社
男体山側、筑波山神社から御幸ヶ原までを結ぶケーブルカーやつつじヶ丘と女体山頂をつなぐロープウェイもあります。
ケーブルカー駅、ロープウェイ駅近くに、それぞれ駐車場があります。
登山道や山頂には、大きな岩があります。足を乗せるときは滑らせないように気をつけましょう。
交通・
アクセス
車は、常磐自動車道土浦北ICから国道125線→県道199線→県道236線、もしくは北関東自動車道桜川筑西ICから国道50号線→県道41号線で筑波山エリアへ。
電車は、つくばエクスプレスつくば駅から筑波山シャトルバスで「筑波山神社入口」下車。
コース (往路:白雲橋コース、復路:御幸ヶ原コース)
筑波山神社→女体山山頂→御幸ヶ原→男体山山頂→御幸ヶ原→筑波山神社
親子
コースタイム
登りは筑波山神社から女体山山頂まで約2時間、女体山山頂から男体山山頂まで約30分。下りは男体山山頂から筑波山神社まで約1時間30分。合計4時間。

3000年の歴史神社

筑波山は古代の昔から崇められてきました。3000年の歴史があると言われる筑波山神社の社伝(『筑波山縁起』)によると、国産みで産み出された「おのころ島」とは筑波山のことで、また天照大神が降臨した神山も筑波山である(『詞林采葉抄』)と書かれています。
また、筑波山麓には古墳時代前期後半(4世紀後半)の丸山古墳や長堀2号墳など、多くの古墳が残っており、さらに、7世紀ごろから常陸国(ひたちのくに)が成立し、筑波山を中心にした都が、長年にわたって栄えていました。

奇岩・怪石

筑波山の、つつじヶ丘コースの上部には、奇岩・怪石が点在しています。
岩が今にも落ちそうな「弁慶七戻り」、天照大神(あまてらすおおみかみ)をまつる神社がある「高天原」、母の胎内をめぐる「母の胎内くぐり」、陰と陽の巨石が並ぶ「陰陽石」、神々が集まり、線を引いて担当を決めたという「国割り石」、船玉神をまつる「出船入船」、大黒様の背のように見える「裏面大黒」などなど。石や木、山などの自然を崇めていた人々をうかがいしることができます。

筑波山は、「西の富士、東の筑波」と称されるほど、美しい山の形をしています。では次の中で、筑波山のことで正しいのはどれでしょう。

1. 筑波山は独立峰である。

2. 筑波山は火山だった。

3. 縄文時代には海が近くにあった。

筑波山周辺に出土する貝塚などの遺跡から、縄文時代の海進のころには古霞ヶ浦が近くまで迫っていたことがわかっています。縄文時代の海進とは、約6000年前の縄文時代におこった海水面の上昇のことです。いまより海面が2〜3mほど高くなり、平野部の奥まで海が入り込んだものです。温度も年平均1〜2℃高かったとされています。

筑波山といえば「ガマの油売り」が有名で、いまでも筑波山の土産物屋では「ガマの油」が売られています。では、江戸時代にこの「ガマの油売り」は、何を売っていたのでしょうか?

1. 刀を売っていた。

2. 薬を売っていた。

ガマの油とは、江戸時代に売られていた傷薬です。「ガマの油売り」の口上によると、ガマ(ガマガエルのこと)を「鏡の前におくとタラリタラリと油を流す」ので、その油を集めたものだいうことですが、じっさいにはわかっていません。露店で、自分の腕を切るマネをして、薬を販売していました。がまの油売りの口上は今日まで伝承され伝統芸能となっており、つくば市認定地域無形民俗文化財第1号に認定されました。

3. 灯油を売っていた。

筑波山情報

観光いばらぎ
筑波山ガイド
つくば観光コンベンション協会
関東鉄道 つくば北営業所(シャトルバス) Tel. 029(866)0510
筑波観光鉄道株式会社(ケーブルカー・ロープウェイ)Tel. 029(866)0611

 

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日本山岳会 茨城支部

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