会報8月号より


服部文祥・著
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『サバイバル登山家』

 著者の服部氏は、96年の日本山岳会青年部K2登山隊で登頂を果たし、その後は激しい冬期登攀から、フリークライミング、山岳スキー、藪山、渓谷遡行など、オールラウンドな登山を『自らの身体能力を最大限に信頼し、最小限の装備と食料だけで挑むこと』に、強いこだわりを持って実践し続ける気鋭の登山家だ。
 その一方で登山専門誌の編集を生業とする、プロの文筆家でもある。登山界で腕に覚えのある人々の水準を遥かに凌ぐ、著者の卓越した文章能力に、旧知の間柄である私も、今回あらためて驚かされた。  
 本書は、手に汗握り息を呑むような山行記も豊富に綴られてはいるが、狭い世界の中で記録を発表するために書かれた山岳ノンフィクションの範疇には収まらず、一つの文学作品として、著者の哲学を語り尽くさんとした書である。
そのためもあってか、殊更な言葉の選び方には細心の気配りをしたのであろう、ひたすらに読みやすく、熱い語りに引き込まれていく。
―「野生動物のようにひっそりと生まれて、ひっそり死んでいく。死んだことすら誰にも確認されない」それは僕が山登りで究極に求めているものの一つだった―この一文にこそ、著者が言わんとすることのエッセンスが全て凝縮されているように私には思えた。
読み始めて間もなく、かの鉄人登山家ワルテル・ボナッティ氏を想起した。極限のアルピニズムから究極のアドベンチャーツーリズムへの転進、というより昇華というべきか、これは真の冒険家にとって永遠のテーマなのかもしれない。さらに言えば、それを世に問いたいという「自己顕示欲」も含めて。
内容は充分に濃いものの、値段は少し高めである。しかし、間違いなく良書であり、会員諸兄姉には是非一読されたい。
(熊崎和宏)

2006年6月 
みすず書房発行
197×275 
定価2400円


米倉久邦・著
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『六十歳から百名山』

 昭和39年、新潮社より深田久弥氏の『日本百名山』が上梓され、その後、百名山を踏破したいという人たちの激増と、山岳書の一ジャンルとしていわゆる百名山ものが認知され、一種の社会現象となった。多少とも登山に関心を持つ人、若い頃山登りをした経験のある人にとっては、深田百名山の中から自分の登ったことのある山をリストアップしてみれば、30座や40座はあるに違いない。もうちょっと頑張れば百座完登も夢ではないと考える人たちによって百名山巡りはブームとなった。それと同時に同じ山のオーバーユースと中高年登山者の遭難が社会問題ともなった。
 奇しくもこのたび同じ新潮社から刊行された本書『六十歳から百名山』は、類書の中にあって極めてユニークな発想のもとに実行された百名山登頂の記録である。
 著者が己に課したルールの一つは、60歳から2年と期間を限って、しかも、過去に登ったことのある山といえども除外せずに新たに全山踏破を目指すことにある。つまり、平均すると週に1座づつということになり、それはかなり苛酷なスケジュールと言わざるをえない。もう一つのルールは可能な限り難しいルートから登頂することである。
 評者から見て百名山のうち、難度が高いと思われる幾つかの山について、著者が採用したルートは60歳という年齢にしては殆んど信じ難いものである(剣岳を平蔵谷からスキーで往復、北鎌尾根から槍ヶ岳など)。それもほとんどが単独行である。比較的平易なルートを取るときでもその脚の長さは天狗様の再来かと思わせるものがある(甲斐駒ケ岳黒戸尾根日帰り往復など)。
深田氏の百名山が例えばヒマラヤの処女峰の初登攀であるとするならば、米倉氏のそれはヴァリエーションルートからの初登攀に例えてもよいであろう。正月の冬富士単独行に始まり、2年後の暮れに宮之浦岳単独行で百名山を締めくくった、百編の記録の集大成が本書である。また、著者個人の記録だけでなく、一山ごとに豊富な逸話が添えられている。著者の本業であったジャーナリストの本領が発揮されているというべきであろう。百名山を志す岳人ではなくとも本書は一読に値するものと感じさせられた。                             
(箕岡三穂)


John Angelo Jackson・著
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『Adventure Travels in the Himalaya』

 60余年にわたるヒマラヤを主とした探検旅行記である。著者は1953年、エヴェレスト初登頂に成功した英国遠征隊の裏方を務め、また55年、初登頂に輝いたカンチェンジュンガ隊の登山隊員といった本格派だ。また、エヴェレストからカンチェンジュンガまで20日間かけて初めて単独で歩き、最近では05年にヒマラヤ入りをしている。
1944年「ビルマの丘とカシミール・ヒマラヤ」、45年と76年「世界の小屋根、ラダック」、54年「エヴェレストと捉えどころのない雪男」、55から02年まで4度の「カンチェンジュンガ」、54年「エヴェレストからカンチェンジュンガの長旅」、81年「ナンダ・デヴィとトリスル」、54年と98年「シェルパの地再訪」「シェルパの村ともてなし」、82年と93年「シッキム、テンジンと聖なる谷」など、時系列的ではないが、29編が収められている。
探検要素の多いもの、本格的な登山、ヒマラヤの文化と生活、半世紀間のヒマラヤの環境・人情・生活の変化、再訪問した時のテンジンなど、現地人との再会や彼らの反応など興味は尽きない。
なかでも、今昔のカンチェンジュンガやラダック訪問、雪男や狼の足跡の追跡、中国との国境紛争の影響、ヒマラヤでのスキーなどが好奇心をかきたて、また氷河から流れ出る冷水の激流ドゥード・コシを泳いで渡渉するなど、随所に記されているエピソードが面白い。長編、短編が混載し、どこから読み始めても気軽に読めるところが良い。
人里離れた山村、交易路、人物など僻地を旅した人にしか撮ることが出来ない多くの貴重な写真は資料的価値もある。惜しむらくば馴染みの薄い地方だけに理解を助ける概略地図がもう少し欲しかった。       
(南井英弘)

2005年発行
Indus Publishing Company (New Delhi)刊  
256n  
Rs.400


同志社大学山岳部山岳会・編
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『山その大いなる旅』

 同志社大学山岳部(DAC)は、1925(大正14)年に創設されたスキー部に、その原点がある。本書はその80年におよぶ歴史をまとめたものである。
 美しい多くの写真とともに、国内外の行動と足跡、山で逝った仲間や先輩の思い出などの他に膨大な年表がある。全部で670nに及ぶ大冊であり、古い記録を探り、ここまでまとめられた関係者の努力に敬意を表したい。
 同志社大学の校祖新島襄は登山を好み、心身を鍛える教育の手段として、全校生徒に「山河跋渉」と名付けた登山活動を奨励した。この行動が同志社の山登りの原点になっているというのは興味深い。同志社で学んだ河口慧海もその影響をうけた一人であろう。
DACの足跡は、戦前の千島、台湾、カラフトなどをはじめ、戦後のヒマラヤはもとより、南米アンデス、アマゾン、ロシア、中国など世界中に印している。特に外貨制限厳しいときの60年のアピ、熱帯から山麓まで43日間のキャラバンの末のサイパルをはじめ、冬のダウラギリ、四姑娘峰、ナムナニ、カント、さらに02年の西チベットの秘峰カキュカンリなどの初登頂など、まさにDACのパイオニアワークの発露である。しかもすべて全員無事で、初登頂に成功していることは特筆に値し、見事である。またその対象がほとんど許可取得の困難な辺境地域であることが、DACの着眼点のすばらしさと、対外交渉力のすごさを示しており、成果の価値を高めている。
 歴代会長はじめ関係者の努力により、そのパイオニア精神は受け継がれ、多くの後輩が続いている歴史は、読む者に伝統のあり方を示し、組織は人であるという感を深くする。そこには常に未知を求める夢があり、その実現のために多くの困難を乗り越えていく行動は感動的ですらある。巻末にある「山岳部を考える」という座談会は、大学山岳部が存続の危機に瀕している現状を分析し、対策を考える意味で示唆にとみ、興味ある。
一山岳会の歴史というより、我が国の登山史という意味からも一読に値する好個の書である。変形A4判の縦書き2段で、紙面が大きく読みやすいのがありがたい。
(平井一正)