会報1月号より


『登頂八〇〇〇メートル』
明治大学山岳部十四座完登の軌跡

 明治大学創立120周年および明治大学体育会山岳部創部80周年を記念して、8000b峰14座の完登を目指していた「ドリーム・プロジェクト」は2003年5月、残されていたアンナプルナT峰を登頂して完成された。著者は、明治大学山岳部のOBとして01年のガッシャブルムT・U峰登山隊に参加し、両峰の登頂者にもなっている。
本書の内容は『ヒマラヤ山脈全図』に続いて、70年エヴェレスト(33年の夢の始まり)、82年ダウラギリT峰(自分たちだけでつかんだ頂)、83年ナンガ・パルバット(魔の山の頂上への執念)、84年カンチェンジュンガ(大遠征隊の光と影)、85年チョー・オユー(止まぬヒマラヤへ想い)、ブロード・ピーク(ヒマラヤに未知の喜びを求めて)、88年シシャパンマ/チョー・オユー(8000bに学ぶ)、95年マカルー(悪絶な稜線の苦闘で得たもの)、96年K2(リードするものの情熱と苦悩)、97年マナスル(因縁の山で結実した明治の登山″)、01年ガッシャーブルムT峰・U峰(若き情熱で勝ち取った連続登頂)、02年ローツエ(通過点としてではなく)、03年アンナプルナT峰(巨大な呪縛の壁を越えて)と時系列で書き進められている。それぞれの登山の模様は参加者の著書からの引用やインタビユーを交えながら、臨場感を盛り上げ、頂に到達するまでの隊員達の心の葛藤を余すところなく伝えている。
アンナプルナを除く章末には、平野真一氏による明大山岳部・炉辺会の海外登山についてのコラムが添付され、時代背景と山岳部のDNAを伝えてくれる。資料として巻末に「8000b峰登頂ルート」が添付されているが、14座の登攀ルート概念図と登頂記録で構成されており、コンパクトながら新たなルートや登山方法を創りだす一助となるものである。
明治大学のヒマラヤ登山は、もちろん日本山岳会のマナスル遠征にその端を発するが、原点は70年の植村直己さんのエヴェレスト登頂である。植村さんに続いた会 員達はさまざまな登山隊に参加し、着実に腕を磨き、夢を蓄え多くの成果を獲得して母校に還っていった。その実力はその後のヒマラヤ登山で大いに発揮され、単一大学山岳部による8000b峰14座完登の原動力になっている。「夢の実現」後も、さらに若い世代や現役の学生も大きな「夢」を描きはじめたという。
事業の継続は類まれなる牽引者の出現と新陳代謝によって継続されていく。「より困難な課題を求めて」情熱を燃やし続ける彼らにエールを送りたい。  
(重廣恒夫) 

2005年8月 
山と溪谷社刊
四六判 326n 
定価2310円

山森欣一・著
『欣ちゃんの山一辺倒』

 日本ヒマラヤ協会の中心人物としてヒマラヤ登山に活躍するとともに協会の発展に尽力し、還暦を迎えた今も同協会の理事長として手腕を振るう著者の半生記である。
山笑う、山滴る、山粧う、山眠るの4章に大別されている。
「山笑う」では自分の生い立ちから、山行きに興味を抱いた動機、山嶺登高会への入会、美智子夫人との出会い、山嶺登高会10周年など山男として成長の過程が記され、なかでも唐沢岳幕岩を全国に知らしめた実績が熱く語られ興味深い。 
「山滴る」は初めてのヒマラヤ、ハチンダール・キッシュ、カンチェンジュンガ大縦走、白きヒマラヤに眠るで構成されている。社会人山岳会としては後発のヒマラヤ入りであるがカシミールの盟主ヌン登山から始まりネパール、パキスタンの高峰に登り、まだ外国登山隊に未公開だった中国やブータンの登山許可取得に精力的に活動した様子が伺える。
「山粧う」では中国大陸への夢とナムナニ偵察、グレート・ベンドへの挑戦と悠久の流れ長江流域の旅、巨峰に挟まれたラプチェ・カン、桃源郷の旅、シャラ・リへの挑戦があり、いずれも中国側のヒマラヤと山旅が語られている。そのなかでチョー・オユーとシシャパンマの間で大きな山様を見せながら未踏峰であったラプチェ・カン(7367mb)隊隊長としての初登頂成功はヒマラヤ登山貢献者の勲章と言えよう。
「山眠る」は山仲間6人の在りし日の想い出をそれぞれの追悼集から引用している。
本書は随所に著者が関与した沢山のヒマラヤ登山が記されており読者を飽きさせない。国内の山岳界内での意思疎通や協力体制作りに奔走し、ネパールなどの登山許可制度やわが国のヒマラヤ登山申請の複雑な手続きの改良など、自分一人の利益ではなく、登山界に貢献したこと。日本山岳会が実施した三国合同登山やナムチャバルワ登山許可取得では、水面下の政治的動きによって苦汁を呑まされたことなど、博識の著者が反骨精神を持って一切を強力に推進していく過程が鮮やかに描かれている。
日本ヒマラヤ協会の登山隊は国内合同隊と揶揄されながら、立派な実績を残してきた。そのリーダーたる著者の山森氏はヒマラヤニストから慕われ、貴重な情報を収集し、月刊会報「ヒマラヤ」などを通して広く発信し続けている。
(南井英弘)

2005年7月
アテネ書房刊
四六判 375n 
定価2500円


渡部由輝・著
『永遠の未踏峰』

 著者は20代の知床から始まってヒマラヤ遠征まで、40年にわたって幅広く登山活動を続けてきた人である。
自分自身の登山、先人、あるいは内外の先鋭クライマーの登山スタイルと心の葛藤をめんめんと列挙しながら、登山の精神的側面―なぜ山に向かうのか―を解明しようとする。
身体的にも精神的にも極度に負担の大きい登山を「極限山行」と
位置づけ、なぜそのような登山が行われるのか、ある種の登山家はなぜ、それをやめることができないのか、内外の第一線クライマーを「極限山行」に駆り立てるのは何なのかを多くの事例を挙げつつ論考を進める(序章〜第2章)。
また、登山の魔力、呪縛について考察し、単独行の精神性を重要視しつつ、登山者自身が「極限的な登攀」を続ける理由を明確には説明しきれないのではないか、と推論する(第3章)。
多くの悲劇的遭難の事実を挙げながら、クライマーは極限的登攀に熱中し、無償(多くは反社会的)の行為をなぜ続けるのかを論じたうえで「人はなぜ山に登るのか」について、著者自身の結論を導き出している。
しかし、これが正しい確定的な解答ではなく「近似解」(著者は数学の専門家である)としている。 
死を賭してまで求める「なぜ」の合理的解答はないのでは?という悩ましい結論だ。
 そして、登山は「人間存在の根源的状況から派生する奥深い文化的事象」なのかもしれない、ということだけは本書で伝えられたと著者は自負する。
 「百名山の登り方」のような、ハウツー的な山の本があふれかえる昨今だが、形而上的状況を求めて山を目指す人たちも多いはずだ。
さまざまな事例を比較しながら登山の精神論をつきつめようとする本書は、久々に読み応えある著作である。
(松沢節夫)