会報4月号より


飯田年穂・近藤等共訳
『ボナッティ わが生涯の山々』

ボナッティが彼の極限のクライムを2冊の著書にまとめて発表した、『わが山々へ』と『大いなる山の日々』をその後全面改稿に着手し、推敲を加えて発表したものが本書である。
 この日本版では、『わが山々へ』に収録されていた山行は近藤等氏が仏語版から新たに訳し、『大いなる山の日々』に収められていた山行に相当する部分と、その後のページは飯田年穂氏が新しく訳している。
 ヴァルテル・ボナッティはアルプスで登山史に輝く初登攀を立て続けに成し遂げ、K2およびガッシャーブルムW峰遠征のイタリア隊にも選ばれて、当時の登山界において第一級のめざましい活躍をしたあと、1965年、突如として登山の表舞台から姿を消してしまった。尖鋭的アルピニストはその後世界の辺境を訪ね歩く水平の冒険へと転進してしまう。
 この書は、ヴァルテル・ボナッティ自身によって、挑戦する大いなる山々の姿とそれに向き合う心模様を、登攀という命をかけた行為を通して鮮烈に描き出したものである。彼の冒険に対する考え、アルピニズムについても随所で述べられ、垂直の世界から水平の世界への転身の経緯についても本音から読み取ることができる。

(渡邉 玉枝)

2003年4月 山と渓谷社発行 382n 2400円

『おれ にんげんたち』
デルスー・ウザラ―はどこに

 黒澤映画を知らない世代にはなじみがないかもしれないが、ひと昔前の登山、探検好きの人間なら一度はアルセニエフの「ウスリー紀行」を読み、文明の汚れを知らぬ現地人猟師デルスー・ウザラ―の生き方に感動を受けたはずである。
 朝日新聞の記者だった筆者の岡本武司は定年後の2001年10月、ハバロフスクへ渡った。その後、ウラジオストクの大学に留学、ロシア語を学びながらアルセニエフとデルスー・ウザラーの研究に打ちこんだ。
 デルスーは実在したのかという素朴な疑問に始まり、その検証とデルスーを生んだウスリーの風土、ロシア革命に巻き込まれたアルセニエフとその壮絶な最後までを克明に取材した。書物、手記などはすべて原典にあたり、タイガに足をのばして関係者にインタビューを重ねた。
岡本は留学翌年に病に倒れ帰国、1ヶ月半後に他界した。残された遺稿の出版が彼の強い希望であった。かつての仲間が編集委員会を設け、それを実現させた。
 タイトルの『おれ にんげんたち』は自然に生きるデルスー自身の叫びである。自然と 文明の重要な関係はアルセニエフの活躍した20世紀初頭と少しも変わらない。むしろその関係は複雑かつ深刻化していると言えるだろう。その意味で、デルスー・ウザラーの問いかけは極めて現代的課題なのである。登山を通じて自然の問題に深くかかわっている登山家にとっても、重い課題がつきつけられていると言えるかもしれない。

(四手井 靖彦)

2004年7月発行 207n ナカニシヤ出版 1890円

Jonathan Neale・著
『Tigers of the Snow』

シェルパの登山史である。著者ジョナサン・ニールは英国在住の作家で少年期をインドで送った。学校の冬休みに選ばれてダージリンのヒマラヤ登山学校が冬季に開催していた少年向登山学校に参加し、若くたくましく信頼感あふれるシェルパの教官に接して憧れを持った。自身、登山家への道は選ばなかったが、後に旅行者としてヒマラヤの旅を続け、シェルパの村に住み込み、言語を習得、ヒマラヤ登山史の空白を埋めるべく本書を著した。
本著刊行の4年前に、優れた先行類書(根深誠・著『シェルパ』山と溪谷社)が出ている。ヒマラヤ黄金時代に活躍した生存者本人や関係者への聞き取りと、雇用者である欧米人登山家の著作を比較検証する手法も同じであり、聞き取り相手もアン・ツェリン以下大方は重複している。
構成は、根深の『シェルパ』がシェルパの個人史を中心にまとめられているのに対して、本著は1920年代のエヴェレスト隊に始まり、1953年のエヴェレスト初登攀に至るまでを、ほぼ年代順に追っている。この間登山はまるで未経験、未訓練の純朴な従者苦力であったダージリン・シェルパたちがいかなる試練を経て、後にヒマラヤン・タイガーと呼ばれ、エヴェレスト初登頂の主役を担うに至ったかが辿られている。
かつて雇用者への批判をタブーとした老シェルパたちも時の流れ、時代の変遷を経て心情を吐露できる環境となったのだろう。根深の聞き取り時期との数年の差が現れたとも思える箇所もある。
1930年代のナンガ・パルバットへのドイツ隊に対する批判は手厳しい。最強の隊員2名が高所で下降に難渋するシェルパ3名を置き去りにしてスキーで逃げ下った瞬間が、それまでの父子的関係でもあった雇用者対従者の関係を変えたターニング・ポイントとなり、シェルパたちは山での困難な局面では自立して身を守り、リーダーシップさえ発揮していくことになったという。
さらなる変化は39年のK2米国隊で現れる。計画段階からシェルパが登頂隊員として組み込まれたのである。この流れは53年のエヴェレスト・ハント隊でのテンジン・ノルゲイの活躍となる。ハント隊でのテンジンは隊員とシェルパとの板ばさみの立場に苦しみながらもみごとに登頂を成し遂げた。
巻末の注釈、引例、索引が完備されており、著者が根深の『シェルパ』を通読したとは思えないが、参考文献にはあげている。

(越田 和男)
St.Martin’s Press,New York  
2002年 336n 26.95$

 徳久球雄・石井光造・武内正・編
『三省堂 日本山名事典』

 1978年、同じ出版社から『コンサイス日本山名辞典』が出ている。今回の出版はそのコンセプトを受け継ぎながら「山名は地.域文化の宝」とし、「山名由来」などの小論を加えて新しく編集したゆえに、あえて辞典ではなく、事典と称することにした由。「多くの方々が日本の山と親しみ、山を理解することに役立つことを願って編纂した」と巻頭にある。
 内容は2万5千図に載るすべての山と峠、さらに山脈や高原、登山の対象となるピークなど2万5000項目を収録し、山や峠には標高、異称、経度・緯度、地形図名などを明示する。「山名考」としてくくられたなかには前記「山名由来」のほかに「アイヌ語源の山」「雪形の山」「同名の山」「十二支の山」など。漢字山峠名を画数順に配列した索引が付く。
 なお、こうした事典の類は実際に使う者それぞれにより、あるいは使う目的によって評価が異なることは言うを挨たない。これを手にしたとき、私はまず長年親しんだ奥多摩、秩父の山々の項に目を通してみたが、少し説明が足りな
いのではないかと思う箇所もあった。
 しかし、横山という山が全国にどのくらいあるのかと興味をもったときには、この事典で手っ取り早く数えて重宝したのだから、事典の満足不満足をー概にいうことは難しい。

(横山 厚夫)
 2004年5月 三省堂発行 1213ページ 5300円