僕は長年京王の沿線に住んでいる関係で、今まで、わが庭のごとく何かといえば高尾山に足を運んできた。この高尾山が3年前突然ミシュランの三つ星観光地に選ばれて一躍全国区になった。以来、年間260万人とも300万人ともといわれる観光客の襲来にいささか恐れをなして、ここのところ、しばし足が遠のいていたのだが、そんな高尾山を先日久しぶりに訪れてびっくりしたことがある。その人出の多さもさることながら、3年前と比べて訪れる人たちの様相がすっかり変わってしまっているのだ。
ざっと見渡して、半分以上が若者と家族づれで、若い女性だけのグループやカップルの姿も目立つ。花が咲いたように服装がカラフルでファッショナブルになった。稜線を歩いていると、これまたカラフルウエアのトレールランナーが勢いよく挨拶をしながら傍を駆け抜けていく。外人の姿も目に付く。そういえば、高尾山だけでなく、最近山歩きをしていて実感するのは、若い女性や外国人が増えたことである。ひところは日本中の山がシルバーグレー一色に塗りつぶされてしまった感があったが、「だいぶ風向きが変わってきたなあ」と感じるこの頃である。
こんな現象を苦々しく思う人も少なくないと思うが、僕は内心悪いことではないナとほくそ笑んでいる。まあ、そんなに目くじらを立てることはない。「彼女が行くから俺も行く」でもいいじゃないか。「そんな恰好してここは原宿じゃないぞ!」といいたくもなるが、まあ、それもいいとしよう。時がたてば行き過ぎた現象も落ち着くだろう。ゲームやパソコンばかりやっていて、大自然に触れる機会が少ない日本の風潮こそ苦々しい。
流す汗、苦しい登り、山頂に立つ達成感、森のたたずまい、野鳥の声、自然の息づかい。そんな中に生きている人間という小さな生き物。子どもから老人までみんなが自然に向き合おうというのが「山の日」をつくろうという国民運動なのだと思う。その目指すところは、そのまま、わたしたちの自然保護活動に結びつく。
自然をいつくしむ豊かな心を持った若者や子供たちがドンドン育ってくれることを願っている。僕に言わせると「自然保護」とは特別なことではなく、美しいものを美しいと感じ自然を愛する豊かな心を育むことである。その意味で、僕の中では、山の日の運動は自然保護活動そのものである。
(日本山岳会理事・自然保護委員)