「我ら皆、山の民」


―国際山岳年スローガンと「山の日」提唱の経緯を振り返りつつ―

江本嘉伸

 「山の日」と付き合って、かれこれ10年になる。きっかけは2002年の国際山岳年だ。今回、山岳5団体による「山の日」の制定協議会が発足したのを機に、当時の取り組みをレポートしておきたい。「山の日」の持つ意味を考える上で大事なヒントがこの経緯に含まれている、と思うからだ。

■「国際山岳年」って何だった?■
 最初に、国際山岳年って、何であったか、覚えていますか? 
 簡単に言えば、2002年1年間、世界が山をめぐる状況、問題を考え、行動を起こした、あるいは起こそうとした年である。
 ご存知のように1992年、ブラジルのリオデジャネイロで「環境と開発に関する国連会議」、いわゆる「地球サミット」が開かれた。ここで採択されたのが、21世紀に向けて地球環境に関しての行動指針となる「アジェンダ21」である。
 40章から成るこの分厚い「アジェンダ」の第13章に「脆弱な生態系の管理・持続可能な山岳開発」のくだりがある。これが国際山岳年の根拠となった。6年後の1998年11月の第53回国連総会で、キルギスを始めとする130か国がこの13章に基づいて2002年を「国際山岳年」とすることを共同提案し、全会一致で採択された。
その際「国際山岳年」の実務は、ローマに本部を置くFAO(世界食糧農業機関)が担当することとなった。 なぜ、食糧農業機関が「山」のことをやるのか、実は「国際山岳年」では、山岳環境を考えながら、同時に山麓住民の経済を潤す方策を打ち建てることが、重要な課題のひとつとなっていたのである。
 FAOのコンセプトによれば、国際山岳年の目的は以下のとおりとされている。
・「山岳地域において保護及び持続可能な開発を促進することにより、山岳社会の現在及び将来の安寧を確保すること」
・「山岳の生態系や山岳の有する能力・機能、そして、山村と都市、高地と低地の両方の人々の安寧にとって重要な多くの資源やサービス ― 特に水の供給と食糧安全保障― をもたらす点に関する重要性について、認識や知識を増加させること」
・「山岳の共同体・社会の文化遺産を振興し守ること」
・「山岳地域において頻発する紛争やそれらの地域での和平を促進することに注意を払うこと」
 つまり、「登山年」でないだけでなく、山岳地域の経済や平和維持にかなり踏み込んでいる内容だったのである。
 このことは、日本に「山の日」を作ろう、と主張する際にも大いに参考にしていい捉え方だと思う。

■「We are all mountain people」■
 国連の呼びかけに応じて、世界の国々が「国内委員会」を発足させ、それぞれのやり方で山々のかかえる問題に取り組むことになった。
 日本の場合は少し異色の展開で国際山岳年の準備が進んだ。
 東京・青山には世界で唯一の国連大学がある。1980年代から国連大学の山岳地域の環境に関するプロジェクトのリーダーをしていた世界的な地理学者にジャック・アイヴス教授がいる。「アジェンダ21」に13章の「山岳地域」を設けることに尽力し、国際山岳年実現に学術的な側面から貢献をした人だ。そのアイヴス教授の米コロラド大学時代の弟子に北海道大学の渡辺悌二さんがいた。渡辺さんは、恩師とのつながりからこの「国際山岳年」についてもいち早く情報を得ていた。
 渡辺さんは環境省の会議などで知り合った登山家の田部井淳子さんに協力を頼み、田部井さんを知る縁でわたしも、当初は新聞社の記者として、そのうち学術グループと登山界のつなぎ役のような立場として打ち合わせに参加するようになった。
 日本での「国際山岳年」は国連大学が大事な役割を果たした。国連大学では環境・開発問題担当学術審議官、リボル・ヤンスキー博士が「国際山岳年」に向けて積極的に動き出し、私たちを刺激してくれたことが大きかった。同時に、吉野正敏上級顧問の存在も重要だった。筑波大学名誉教授、日本地理学会会長、日本沙漠学会会長などを歴任されており、国際地理学会議の副会長を務めたこともある著名な気候学者。アイヴス教授とも1970年代からよく知っておられた。

■ 日本委員会の発足 ■
 準備のために動き出したのが2000年7月、各登山組織と何度も話し合いを持ち、田部井さんを委員長に6つの登山組織(日本山岳協会、日本勤労者山岳連盟、日本山岳会、日本山岳ガイド協会、日本ヒマラヤ協会、HAT-J)の代表、学者グループ(日本林学会、日本地理学会など)で「国際山岳年日本委員会」を発足させたのは山岳年
直前の2001年11月だった。それまでのいきさつから私が事務局長に、渡辺さんが事務局次長になってくれた。梅棹忠夫、愛知和男氏、それに前述の吉野氏に日本委員会の特別顧問になっていただいた。最終的に世界では78の国に「国際山岳年国内委員会」が誕生し、独自の活動を展開した。
 事務局長を引き受けて真っ先に注目したのは、「We are all mountain people(我ら皆、山の民)」という「国際山岳年」の共通スローガンである。この言葉はわたしたちの運動の思想になる、と考えた。FAOが世界に発信した言葉なのだが、山と森が国土の7割を占める日本に住む我らこそ「山の民」ではないか。国際山岳年の運動をまずその認識からはじめたい、と思った。折から、日本の山の美しさ、個性について、東京学芸大の小泉武栄教授らが主張してくれている時でもあった。里山を含む日本の山々にもっと知的好奇心を持とう、という呼びかけは、比較的受け入れられた、と思う。東京、地方を問わずさまざまなテーマでフォーラムやシンポジウムを開き、また実際に山々に足を運んで、山の生態系の問題、トイレ問題など山小屋の抱える課題などを考えた。環境省、地方自治体でも次第に本気に「山の年」と向かい合う雰囲気が広がって行った。
 そういう雰囲気の中で、日本に「山の日」をつくろう、という提案がかたちになっていったのである。
 
■「山の日」の提唱 ■
 山の日ポスター

 国際山岳年日本委員会は、2002年3月、環境省の支援で「山を知る小辞典」というリーフレットをつくった。このリーフレットの表紙に「日本に『山の日』を」というコピーを目立つようなかたちで登場させた。
 残雪をたたえる羅臼岳を背景に左のような「山の日」ポスターも作った。 2002年5月13日の朝日新聞オピニオンページの「私の視点」というコラム欄に国際山岳年日本委員会事務局長としてわたしの文章が載っている。『日本に「山の日」を作ろう』という、見出し。冒頭、「今年は、世界がおそらく歴史上初めて合意して定めた『山の年』なのである」と書き、以下のように結んだ。
 「国際年といって、何も派手派手しいイベントをやろう、というわけではない。むしろ、『国際』の2字を外して里山に代表される身近な山々を見直し、そこに学ぶことがもっとも中心の活動になるのではないか、と思う。その意味で、山々を抱く地方が主役になってほしい1年でもある。
 私たちは、周囲に山々が存在することを当たり前に思い、その美しさに無感動になっている。世界に誇れる山々を見直し、そのことを次代に上手に伝えようではないか。たとえば、この記念の年に提案したい。日本に「山の日」を作ろう。」
 
2002年は1月31日、2月1日、国連大学での「国際山岳年」記念フォーラム(これは、国連大学と北海道大学大学院地球環境科学研究科の共催だった)を手はじめにいくつもの重要なフォーラムが開かれ、日本委員会の活動は俄然忙しくなった。その中で7月6、7日、静岡県富士宮市で開いた「富士山エコ・フォーラム ―富士山の自然を君たちへ」のフォーラムは、「山の日」をはっきり提唱した、という意味で重要だった。
 このフォーラムは日本勤労者山岳連盟(西本武志理事長)が中心となって準備、実行された。1200人で埋まった会場には大木浩環境大臣も参加、また小泉純一郎首相からのメッセージも寄せられた。圧巻は、子どもたちによる「富士山学習」の成果発表だった。これは、地元富士宮市と山梨県富士吉田市の小中学生たちが、日頃の研究を発表したもので、子どもたちの真摯な姿勢に私たちは圧倒された。「若い世代に山のよろこびを」という願いが、ここでは聞き届けられた気がした。
 この会場で、ひとつのメッセージが小中学生たちによって読み上げられた。日本委員会の主張のひとつが盛り込まれているので、再録しておきたい。
      
  <国際山岳年2002 富士山からのメッセージ>
 きょう、「国際山岳年」の1日、私たちは、ここ富士山に集い、語り合いました。

 富士山に対して、日本人は、ふるい時代から、
 高く、美しく、強い存在への畏敬の念を育んできました。
 日本は、国土の70%を山と森が占める山の国です。
 山から涌き出る水は、命のみなもとであり、その水が稲をはぐくんできました。
 また、山をおおう森は、たっぷりと水をたくわえ、新鮮な大気をつくりだしてくれます。

山は、日本人にとって神でもあったのです。どこに住んでいても、日本人は、みんな「山の民」なのです。

しかし、私たちは、しだいにその山々のありがたさを忘れていきました。とくに、経済発展の道をひたすら追い求めてきたこの半世紀、山々の破壊と汚染は、知らぬ間にどんどん進んでいました。
いま、もっとゆっくり山や森と向き合い、山の大切さを思い起こすことが必要なのだ、と私たちは、気づきました。

富士山に集った私たちは、きょう、ここで誓います。
*知的好奇心をもって山の美しさと力強さを学びます。
*山々の大切さを、科学的に明らかにし、その環境を壊さないようにします。
*日本だけでなく、世界の山々に対して、同じ畏敬の心と愛情をもって接します。
*山に生きる人々の生活・文化を尊重し、
多くの他の生き物たちのすみかとなっている山の自然を守ります。

そして、毎年、そういう思いを新たにするために、日本に「山の日」をつくることを提案します。
 
このメッセージは英文にも翻訳され、後にフランスのシャンベリーで開かれた総括会合で各国の参加者に日本人の思いを伝えることができた。

■ 里山の大切さ ■
 「富士山メッセージ」は「里山」という概念を強く意識している。
 2002年当時、「国際山岳年」という呼称について小さな議論があった。「International Year of Mountains」を「国際山の年」ではなく「国際山岳年」と日本語訳したことが、登山家たちの問題という印象を強めてしまった、との指摘が学者グループの間から出たのである。「山の日」を広く社会に認知してもらうためには登山愛好家たちの運動、とだけ思わせてしまってはうまくいかないだろう。実際に「山」の概念が実に広く、深く、それだからこそ「山の日」をつくる意義があるのだと思う。
 たとえば、わたしは「山の日」というと、今では「山登りをする日」というイメージはあまり持たない。水源、川、森、畑地などを連想し、若い働き手のいなくなった、中山間地域におけるいわゆる“限界集落”のこと、あるいは、野生動物の里への出没の問題などを考える。
 山の世界は、日本社会を反映して変貌しつつある。人口の高齢化が進む中で、山里はサル、鹿、猪、ハクビシン、アナグマなどの獣害で耕作放棄地がどんどん増えているのが現状だ。
 登山世界に関して言えば、イギリス流のパイオニア・ワークという言葉に心酔して発展させてきた日本のアルピニズムに、現代はもっと土臭い展開が求められている時代ではないか、と思う。
 国際山岳年日本委員会は2004年4月に解散し、「山の日」を含む思想は、信州大学に事務局を置く「YAMA NET JAPAN」というネットワークに委ねられることとなった。しかし、いくつかの理由からこれはほとんど機能できないまま推移し、「山の日」の提案も店ざらし状態となってしまった。
 その意味で、今回山岳5団体による「山の日」の制定協議会が発足したことは大いに意義がある。8年前の「山の日」提唱当時の経緯を今後の参考にしてほしいと思う。そのさい、できるだけ学術的人士との交流を深め、運動の裾野を広げてゆくことが大事ではないか、と考える。

(山岳ジャーナリスト、日本山岳会「山の日」制定プロジェクト委員)

富士山メッセージ
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