2005年12月号

日本山岳会創立100周年
記念式典を終えて
 
 平林 克敏
 

10月15日の記念式典で、100周年事業も8割を終えた。その成果などを、実行委員長の平林副会長に報告してもらった。

■100周年事業に向けて
今から10年前の創立90周年式典のおり、100周年を迎える日本山岳会の抱える長期的問題として、「海外登山のあり方」「環境問題」「中高年問題」などが検討され、今日に受け継がれてきた。
2001年春、100周年事業企画委員会を発足した。その中で、記念事業の根幹をなす考え方として、「全員参加」「将来に残る事業」を基本理念として、100周年をいかに表現するかを、登山事業と山岳文化の両面から検討・実施してきた。

■登山事業について
東海支部の冬季ローツェ南壁登山隊(2004年冬)を100周年事業として支援したが、惜しくも8250b地点で敗退した。
学生部のムスタン登山隊チービヒマール(6650b)、サリブン(6328b)の登頂には5人の学生が取り組み、みるべきものがあったと評価したい。
関西支部創立70周年記念事業の西チベット学術登山隊は、6000b峰2峰初登頂の成果をあげた。また、これで未解明であった河口慧海の越えた峠クン・ラを確定し、峠越えのあと、最初に立ち寄った白巌窟を特定した和田豊司学術隊長はじめ、大西保隊長とその隊員の果たした功績は大きい。
その他、各支部が送り出した登山隊もそれぞれ立派に成功を収めることができた。登山全体について言える事だが、これまで当会が実施してきた海外登山とは大きく異なる時代の流れが、それぞれの登山隊に見受けられる。このことは、山岳会の次なる時代への対応の難しさを示す一つの事例であり、当会の抱える大きな問題の一つと言えよう。

■記念トレッキング
企画立案の当初、かつて日本人が辿った数々の足跡を訪ね、先人の偉業を偲ぶ旅を想定し企画した。会報に告示した12のコースのうち、6コースが遂行され、約50名が参加した。「河口慧海の足跡」「マナスル初登頂の足跡」などを最後にこの事業を終了する。当初の期待に反し、平均年齢64歳の当会会員には、少し足の重いプロジェクトであったと思われる。

■国内登山「中央分水嶺踏査」
中央分水嶺踏査は、支部をあげての「全員参加」に最もふさわしい一大イベントとなった。
「山岳会創設の頃と同じように地図とコンパスと五感を駆使して藪をかき分け、荷物に汗して目的地を目指す……」とは某支部長の言である。
宗谷岬から佐多岬まで全長4480`の約90l、4000`を11月末までに踏査した。25支部と、首都圏の同好会も加わり、踏査日数延べ757日、参加者数延べ3930余名にまで発展した。
GPSによる位置測定、三角点の保存状況や地図との相違点など、「国土地理」はじまって以来の調査となり、上期中に報告書を作成予定である。
この計画の当初(2002年秋)、周辺の山々をよく知り尽くしている支部長から困難視する声も多く聞かれたが、よくぞここまでやり遂げたものだ。筆舌に尽くし難い苦労があったものと思う。

■山岳文化事業『百年史』刊行
1994年10月に百年史編纂に向けた小委員会が設立され、10年を越える歳月を経て、完成しようとしている。
当会の歴史を多角的側面から解明する本編上巻と、登山史的な論考および資料を含む下巻の2分冊から成る。各編350〜400n程度を予定している。その概要が百年史委員会から11月理事会で報告された。伝統の原点を掘り下げ、今日にいたる当会活動の歴史を中心に、会の枠を超えた流れをも網羅した力作となろう。
心血を注ぎ本誌の執筆に携わる委員会の方々に、多くの会員と共に敬意を表したい。

■『新日本山岳誌』発行
日本全国4000山の情報を集めた本誌は、10月上旬に完成。ナカニシヤ出版(京都)から発行され、記念式典にその第1号が展示された。当会発起人の一人で第2代会長の高頭仁兵衛が、1906年に独力で書き上げた『日本山嶽志』から100年目となる本誌は、他に類を見ない大作となった。
25支部、約500余名がこの作業にあたった。編集委員長を務め、提案者でもある高木泰夫会員に敬意を表したい。

■その他の刊行物
『英文ジャーナル、100周年記念号』はすでに執筆の大半を終えた。約300n、カラー60nを含む本格的な英文記念号。1500部を来年5月に発行する。
図書展委員会編纂の「所蔵山岳図書・絵画展目録」は当会が誇る外国語図書を中心に、貴重な和書も加えた立派な目録で、丸善での展示会も大好評であった。事情があり、東京以外の地域で開催できなかったことが残念であった。
この他、『写真で見る日本山岳会の100年』も、資料映像委員会(羽田栄治委員長)を中心に作業にあたり、滑り込みで式典に間に合わせていただいたが、古い写真を収集、編集する事にはかなりの苦労があったと思う。

■シンポジウムと記念フォーラム
医療委員会のシンポジウム第1回「山での突然死を考える」、第2回「山での救急蘇生を考える」が行なわれた。講演会内容を収録したCDは、山岳会員のみならず山好きな方々にも広く参考となるものとなった。
記念フォーラムとして、若手パネリストによるシンポジウム第1回「日本山岳会のこれからを考える」を開催。このなかでこれまで日本山岳会が主催した幾多のヒマラヤ登山を検証し、次の一世紀に向けての問題を探った。引き続き「日本山岳会と登山の未来に向けて」と題する第2回シンポジウムを、2月11日に日本青年会館において開催予定である。
その他、フォーラム委員会の活動は広く、会員有志の海外登山やトレッキング活動を支援し、各支部で実施中の国内記念登山等を管理し、今日に至っている。

■自然保護と森づくり、支部式典
9月9〜10日、高尾の森わくわくビレッジで開催したシンポジウム「森と人間の共生」では、自然保護全国集会を持った。そのなかで「日本山岳会自然保護活動指針」が検討され、1992年に作成した指針を見直し、今日的観点から考えた全会員が共有できる具体的な活動指針を明記、採択した。
森づくり活動では、白神山地ブナ林再生事業(青森)、高尾の森づくりの会(東京)、猿投の森づくりの会(東海)を100周年事業として認定した。それぞれ記念事業を実施、一般市民や民間企業関係者も参画した「森を護り、再生する事業の先達」として社会的に大きな評価を得ている。
支部式典は8ブロックに分けて挙行された。5月28日の東北ブロックを皮切りに、11月5日の関西支部式典をもって終了した。参加人員は延べ766名、それぞれ薀蓄に富んだ興味深い講演が行なわれた。

■記念式典・祝賀晩餐会
海外の招待者19ヵ国21団体に招待状を送ると共に、100周年を伝えるグリーティング・カード500枚を各国に送付した。当日はシンガポールで開催中の国際山岳連盟の総会と重なり出席国は10ヵ国28名となった。
記念式典当日の講演会には1030名が出席した。山田二郎前会長と山野井泰史氏の講演は、山を知る会員にとっては示唆に富んだものであった。
祝賀晩餐会には、皇太子殿下はじめ国内外の来賓54名をお迎えし、総勢977名の出席を得て、盛大に挙行することができた。会場での殿下は、たいそうお寛ぎのご様子であった。
会場に展示した『写真で見る日本山岳会の100年』のパネルは印象に残るものが多く、殿下にもご高覧いただいた。
海外からの来賓を迎えての前夜祭や、翌日の日光へのエクスカーションも良い交流の場となった。
この式典と祝賀会を挙行するまでには、多くの問題や反省が残るが、結果が全てを補って、余りあるものとなった事が幸いである。

■残る事業の進捗
『百年史』の発刊、『英文ジャーナル』の発行、「中央分水嶺踏査報告書」の刊行物については、次期総会から少なくとも上〜中期の発行をめどに鋭意進行中である。
「マナスル登頂五十周年記念」(2006年5月9日)の諸事業、学生部のネパール・ヒマラヤ、マナスル山群のパンバリ・ヒマールへの遠征が計画されている。

■式典を終えて(謝辞)
国内外の来賓の方々をはじめ、会員の皆さまに多数ご出席いただき、100周年記念式典を挙行できたことにお礼申し上げます。
ひとくちに100周年と申しますが、創立から今日に至るまで、先輩方が積み重ねてきた足跡の大きさ、その重みは語るに余りあります。
ヒマラヤ登山をはじめ、地球の隅々にまでその足跡を印した山岳会の諸活動を長きにわたり、支え、ご協力を賜りました多くの関係者の方々に、感謝の意を表します。
向後は、100年を山と共に歩んできた当会の歴史や伝統と対峙し、新たなる世紀に向かって、歩み、努力することを共に誓い、謝辞といたします。