2005年7月号
英国アルパイン・クラブでの講演
 
中村 保
 

 g

5月10日のロンドンでのアルパイン・クラブ(ロンドン)で行った講演「ヒマラヤの東―チベットのアルプス」はたいへん好評でした。海外でのトークはアメリカ、インドに続き今回で4回目です。外国での「紙芝居」、初めは敵地に一人乗り込むような心境でしたが、だいぶ慣れてきました。

英国の各地から東チベット・四川・雲南に興味を持つ著名な登山家たち(ミック・ファウラー等)や第一級の山岳ジャーナリストが集まってくれました。スイスのチュ-リッヒからも気鋭のクライマーがきました。アルパイン・クラブ新会長のステフン・ベナブルス氏が親切に司会進行を務めてくれました。
過去四回の私の海外での講演の中では最も質問が多く、英国人の未知の領域への関心の深さを再認識しました。ベナブルス氏は日本でも翻訳されている「ヒマラヤ アルパイン―スタイル」(山と渓谷社)の著者で、クリス・ボニントン、ダグ・スコットと並んで英国を代表するオールラウンドな登山家です。文章家としての評判も高く、アルパイン・クラブの伝統を継承する新会長に最も相応しい登山家です。

英国一(たぶん世界一)の山岳のジャーナリストのリンゼイ・グリフィンと親しく話をしました。彼によると”Mountaineering”の伝統が生きているのは今やイギリス、ニュージーランドとアメリカ(含むカナダ)だけで、フランス・ドイツ・スイスはカタログ登山・公募登山が主流になっているとのことでした。日本もまさに後者でしょう。
とは言え、アルパイン・クラブ(会員は1300人)も老齢化が進んでおり対応に腐心しています。それでも30歳前後の気鋭のクライマーが15人ぐらいは毎年入会するようです。
アルパイン・クラブのAlpine Climbing Group(ACG)の実態につても聞いてきました。以外なことが分かりました。ACGは1950年代の半ばに清先鋭的なクライマーの集団としてできたクラブで、ACとは別の存在でした。創設したのはジョー・ブラウン、イアン・ナハト・デービス等です。日本のRCCUのような集団でしょう。ところが組織として運営することができず、アルパイン・クラブの中に取り込まれた(或いは頼まれて入れた?)とことです。
現在、アルパイン・クラブの中でのACGのメンバーは約100人、一線のクライマーが名を連ねています。すでに約40名はリタイアーしています。ミック・ファウラー(もちろん彼もACGメンバー)に聞いたところ、ACGがグループとしての行動はしていないとのことで、組織としは形骸化しているとのことでしたが、個人は活発に登山をしています。

私の講演に段取りしてくれたアルパイン・クラブの関係者はオクスフォードとケンブリッジの出身者です。元副会長のヘンリー・ディ陸軍大佐(ケンブリッジ)、現名誉会長のマーチン・スコット(オクスフォード)さんです。お二人とも63歳、登山や冒険に関してはまだ現役です。
ヘンリーさんは英国陸軍のヒマラヤ登山隊に(マーチンさんによると国の税金を使って)15回も出かけており、今はランド・ローバーで世界を駆け巡り、途中で山に登っています。今年は南米のボリビアから最南端のフェゴ島まで走破しました。
マーチンさんはチベットと四川に没頭しています。一昨年は中央チベットのBeu-Tse 6270bに初登頂、昨年春は四川の未踏の名峰・海子山 5820bにチャレンジ(不成功)、秋には西チベットのナヤガン・カンリ 6731b (GPSによる測量)の初登頂に成功しました。今年の秋はチャンタン高原の未踏の6000b峰に挑みます。実に行動的ですね。英国の伝統を感じます。

ミック・ファウラーの印象についても書いておきましょう。英国アルパイン・スタイルの旗手のミックに会うことも楽しみの一つでした。彼には四姑娘山や念青唐古拉山東部のカジャチョについて情報を提供してきました。イングランド北部からロンドンに出てきてくれました。税務官という職業柄でしょうか、紺のスーツにきちんと身だしなみを整えて現れました。小柄で何処にでもいるおとなしい紳士的なサラリーマンの感じでした。あの過激な登攀をするスーパー・クライマーのイメージとはかけ離れたものでした。
マーチンさんに言わせると「ミック・ファウラーは律儀で親切、物静かな紳士で、他人にたいへん思いやりがあり、誰からも好感を持たれる人物である。そして何よりも家族を大切にしている。スランスの登山家たちはミックの外面的な印象からは、あれほどの厳しい登攀の実践者だとは想像できないと言っている」ようです。私も同感です。
講演が終わってマーチンさんの家に一緒に泊まり、朝の2時までリンゼイ・グリフィンも交えてスコッチを飲みながら山の話をしました。翌朝、ミックは出勤の時間に間に合わせるために、皆が寝ているうちに起きて一番列車で帰りました。今秋は「チベットのマッターホルン」カジャチョに初登頂に挑みます。

年創立100周年を迎えるケンブリッジ大学山岳会との交流は、英国の登山界の動向を知る上で勉強になりました。ケンブリッジでの山岳部現役とのバーベキューパーティーは楽しく意義深いもので、山岳部現役の皆さんの熱意に触れました。現役の山岳部(といっても日本とは違う形態かもしれませんが)の部員は、全体で80名ていど、アクティブなメンバーは25〜30名いるとのことでした。今年は学生だけでモンゴルのアルタイに出かけます。” Japanese Alpine News”にたいへん興味を示してくれました。日本の学生と合同遠征を企画したいと考えたりしましたが、意欲とレベルは相当違います。学生2名がケンブリッジから小生の講演を聴きにロンドンまで出てきてくれました。

 アルパイン・クラブでの講演の後は、会友の立場で王立地理学協会(RGS)を訪問、歓迎を受けました。金子民雄さんがどうしても手に入らないと言って依頼してきたインド測量局の記録(1930年)のコピーをいとも簡単にもらえました。
それはさておき、王立地理学協会の威容とアーカイブスの充実ぶり、エクスぺディションにたいする支援体制は、まさに七つの海を制覇した大英国の植民地支配の情報拠点であったことを実感しました。嬉しいことに”Japanese Alpine News“がちゃんと保管されています。

英国滞在中に、私の別の夢である南極圏の南ジョージア島や南極半島のアドベンチャーと登山についても専門家と親しく話しあいました。滞在中は3人のアルパイン・クラブの幹部の家と南極専門家の家4箇所(ロンドン、ケンブリッジ、イングランド南部、バーミンガム近郊)に泊めてもらいました。 おりよく”Japanese Alpine News”最新号Vol. 6が届いたばかりのところで、これも大いに話題となりました。アルパイン・クラブの幹部と親交を深めることができ、連日の付き合いで疲れましたが、実り多い英国訪問だったと言えるしょう。

 次回は12月3日にアルパイン・クラブの2005年シンポジウム(湖水地方で開催)に出かけます。テーマは「ヒマラヤの東」で5人が講演をしますが、小生がメイン・スピーカーとして総括的な話をします。ミック・ファウラーも話します。欧米登山界のネットワークはたいして広くなく、私自身は他の講演者と何らかの係わりがあります。しかし、5年前にJACが招聘した『アメリカン・アルパイン・ジャーナル』の編集長が言っていたように、日本は欧米の登山界から孤立している感は否めません。