2004年9月号
K2 50周年祝賀・ナンガパルバット51周年記念行事に参加して
 
中村 保
 



「1981年、K2西稜を登り頂上直下10mのところにきたとき、私はパートナーの大谷映芳さんに先に頂上に立ってくださいと言った。が、大谷さんは“K2は君の山だ、先に上ってくれ”と私を促した。――お互い譲りあった末、腕を組んで歩き一緒に登った。2人同時に8000m峰の頂上を踏んだのは世界で初めてでしょう」。祝賀会でのナジール・サビルさんの講演の一節です。 
ナジールさんは1977年に故・吉沢一郎さんが総隊長で25年ぶりにK2の第2登を果たした日本山岳協会隊に参加したが、自身はサミッターにはなれませんでした。そのときの仲間4人はスキルブルムで遭難し今はないことにも触れ、日本とK2の関わりを紹介してくれました。形式ばらない秀逸な話でした。1981年の西稜初登は早稲田大学隊による快挙で、1978年にボニントン隊が断念した新ルートの初登攀です。1985年にパキスタンを来訪した中曽根総理は「K2西稜の登山のようにパキスタンと日本は手に手を携えて進みましょう」と挨拶したそうです。練達の政治家の感性はさすがです。

 ナンガパルバットのヘルマン・ブールの未亡人オウゲニエさん、娘さんのクリミエデさんも当然招待され、注目を集めました。日本人にはたいへん親近感をもっています。ひとつは『ナンガパルバット』の翻訳者・横川文男さんとの親交であり、もうひとつはピッケルの件です。ヘルマン・ブールのピッケルの発見者は池田壮彦氏で、1999年7月28日に頂上直下10mのところで見つけられました。返還式は2004年4月24日にザルツブルグ郊外の[山は呼ぶ]という博覧会で行われました。オウゲニエさんはしきりに懐かしがっており、日本の皆様にくれぐれもよろしくとのことでした。こちらがドイツ語をわかればもっといろいろ話ができたでしょう。

祝賀行事の式次第のあらましを紹介します。

主催者 パキスタン観光開発公社(Pakistan Tourism Development Corporation = PTDC)
会議 2004年7月10(土)イスラマバード、マリオット・ホテル
オープニング・セッション
●開会の辞 パキスタン観光開発公社総裁
●挨拶 パキスタン政府観光担当大臣、イタリア大使、オーストリア大使館参事官
●歓迎の辞 州政府少数民族・文化・スポーツ・青少年担当大臣
●主賓挨拶 パキスタン首相

第1セッション 
●テーマ パキスタンの山とK2およびナンガパルバットの登攀
●主賓 パキスタン政府カシミール問題・北方地域担当大臣
1 パキスタンの山の紹介(パキスタン山岳会会長)
2 K2とナンガパルバット・登攀の歴史と自身の体験(ナジール・サビル)
3 高山と環境保全(パーベス・カーン=ライター)
4 来賓の挨拶(イタリア山岳会会長、ネパール山岳協会会長、中村 保)

第2セッション 
●テーマ アドベンチャー・ツーリズム、環境保護、貧困対策
●主賓 州政府環境問題担当大臣
1 アドベンチャー・ツーリズム 現状と展望(アドベンチャー財団理事長)
2 環境保護と高山の清掃作戦 (アイシャ・カーンMGPO)
3 エコ・ツーリズムと環境保全・貧困対策(IUCNパキスタン代表)
パキスタン首相招待による夕食会 ――公園の野外で
懇親ツアー 2004年7月11〜15日 北部地域ギルギット、スカルドへ
7月11日 イスラマバードーギルギット(カラコラム・ハイウエーを20時間)
7月12日 ギルギットースカルド
7月13日 スカルド周辺観光
7月14〜15日 スカルドーイスラマバード

パキスタン政府の精一杯の段取りだったと思います。山岳地帯の環境保全について映像を最大限活用してPRに努めていました。真面目な取り組みがよくアピールされていました。初日の会議にはプレス関係者(NHK、読売新聞も出席)を含めて300人以上のひとが出席し盛況でした。主催者側の力の入れようは、首相をはじめ政府関係者のホスト側の顔ぶれを見れば意図が伝わります。
が、ナジールさんが指摘するように登山界を知らない政府官僚の発想・対応への批判もあるようですが、いたしかたないところでしょう。日本大使の挨拶は当初は予定されていましたが、当日のプログラムからは消えていました。いささか残念でした。外国人ゲストの挨拶ではイタリア山岳会会長、ネパール山岳会会長の後に突然私が指名されました。
まったく予想もしていなかったので面喰いました。下手くそな挨拶でしたが、結果としては日本人の存在を印象づけたとは思います。ちなみに私は日本山岳会の『Japanese Alpine News』編集人ならびに評議員の立場で外国人ゲストのひとりとして招待されました。日本山岳会から平山会長のメッセージの手紙を添えて宮森常雄氏の『カラコルム・ヒンズークシュ登山地図』を主催者側に寄贈しました。
参加した外国人ゲストは26人です。招待状は飛行機代から現地の費用まですべて負担してくるケースと現地の費用のみを負担してくれるケースの2通りがあったようです。招待状が誰に出されたか、その全貌と選択の基準ははっきりしませんでした。日本からは私と富山の佐伯尚幸さんの2人だけが参加しました。日本への招待状は私と佐伯さん以外には日本山岳協会会長田中文男・神崎忠男・大谷映芳・坂井広志・遠藤由加の諸氏に送られたとナジールさんは言っていました。
外国人はイタリア山岳会会長と副会長、英国山岳評議会(British Mountaineering Council)会長、ネパール山岳協会会長が組織を代表する立場で参加、ヘルマン・ブールの未亡人と娘さんが特別参加、その他ネパール、スイス、オランダ、ポーランド、リトアニアからの参加で、我々にとって知名度の高い人たちではありませんでした。ショート・ノーティスだったため参加できない人もいたようです。 
登山関係の国際的な祝賀会としてはボナッティ やメスナー、クルト・ディーンベルガーのようなスーパー・スターがいない顔ぶれは華やかさに欠ける催しだったかもしれません。アメリカ山岳会の重鎮の姿はありませんでした。アメリカは癌患者で初めてエヴェレストに登頂したウオーマーさんに招待状が出されましたが参加していません。
 懇親ツアーのギルギット、スカルドへの旅行はハードでした。タイやミャンマーの大使とその関係者なども加わり、7台のマイクロバスに分乗しての強行軍でした。軍隊と警察の9車に先導され、いたるとことにあるチェックポストを外交官扱いで優先的に通過しました。危険はないといっていましたが、不穏な情勢であることは警戒の厳しさが物語っていました。通過地点のチラスでは「祝K2 50周年」の横断幕がかかり、ギルギットでは地方政府の高官が歓迎、スカルドではポロ競技場の横のバザールにイタリア歓迎の垂れ幕が張られていました。イタリアがスカルドに博物館をつくる計画があると聞きました。
記憶に残る旅でした。イタリア、英国、スイス、オランダ、ポーランド、ネパールのゲストと同じマイクロバスで30時間ともに過ごしました。親しくなる絶好の機会です。国際会議の行事での楽しみです。だんだんにそれぞれの人柄が分かってきます。 
一番驚いたのはイタリア山岳会会長・副会長のことです。2人とも英語が話せないので通訳の女性を連れてきていました。会議の日はたいへん寡黙でおとなしい人たちとの印象を持ちましたが、あにはからんや、実際は饒舌で陽気な方々でした。バスのなかではイタリア語で喋りまくり、そのうち歌になりました。オーソレミオ、サンタルチア、後は知らない歌を延々と歌い続けます。同乗者の皆さんは拍手をおくります。ヨーロッパの人たちに溶け込むのは努力がいると感じました。お陰でイタリア山岳会会長のガブリエラ・ビアンキさんと仲良くなることができました。新しい収穫でした。