2003年9月号
カンチェンジュンガ 国際隊の新しい試み
竹内洋岳
 
ナマステ。残念ながらカンチェンジュンガ北西面無酸素の試みは登頂に至りませんでした。ご存知のように天候が非常に悪く、ジェットストリームが爆音をとどろかせ7500m以上で大きな雪煙を上げる天候が最後まで続きました。

今回の登山チームの構成は、一昨年のナンガ・パルバットの時と同じ方式で単純に友達同士、知り合い同士を誘い合ってのプライベートチームです。

4月1日にタメルのホテルに集合しました。リーダーのラルフ・ドゥエモビッティ(1961年生まれ。ドイツの大手エクスペディションオーガナイズ会社「アミカル・アルパイン」の経営者。K2無酸素を含め8座の8000m峰の登頂者)以下ドイツから3名、オーストリア人女性のガリンダ・カールセンブラウナー(71年生まれ、元看護士、マカルーを含む8000m峰5座の登頂者)、フィンランド人のベイカー・ガスタファッソン(68年生まれ、K2無酸素を含め9座の8000m峰の登頂者フィンランドでは「ベイカー人形」なるものがおもちゃメーカーから発売されている国民的有名人)、それに日本人の私の計6名でした。

会ったことのある人もいるし、ない人もいます。お互い住んでいる国も地域も違うので事前の連絡はメールだけで当日ホテルのロビー集合で登山が始まります。

荷物も「団体装備」というものは存在しません。BC以上で使用するものはすべて個人装備なのでそれぞれが各自使用するものを持ち寄って来るだけです。例えばBC以上の食料、テント、シャベル、コンロ等の装備は必要と思うものを使いやすいもので、自分が食べたいものを自分が必要と思う分だけ、自分で持ち込みます。テントは事前にひとり2張り用意することになっていました。フィックスロープは8mmのスタティックを300mずつ持ち寄り、スクリューはクレバスレスキュー用、アバラコフ用におのおのが携行するように何本かを個人装備で用意することになっていて、あとのクライミングロープやらその他のプロテクションはそれぞれがカトマンズにデポしてあるものとか、それぞれのスポンサーからサポートされたものとかを持ち寄って十分そろいました。 タクティックスもすべて話し合いで決めます。パワー、スピード、テクニックをかねそなえたメンバーだけに過去多くのチームが非常に苦戦したアイスビルディングも、C2以上のアイススロープも、それぞれ内容的には1日で突破しました。アイスビルデング内も結果的に要したフィックスロープわずか30mというもので、それ以外はおのおのがダブルアックスで上り下りするスピーディーなものでした。

長続きしない好天周期の強風の中でも我々のスピードによって7300mのC3まではなんとかルートが伸び、次の好天気を待って頂上へ、とC3を後にする時に雪煙をもうもうと上げるキャッスルを背にBCへ下りましたが、その爆音をとどろかす雪煙は最後まで止むことはありませんでした。

悪天候で登頂には至りませんでしたが最高最強のチームであったことは間違いありません。お互いを尊敬しあえるチームワーク、パートナーシップがあり、そして何よりもベストフレンドでした。すでに今回のメンバーで再来年の2005年に再びカンチェンジュンガ南西面への予定をエージェントに依頼してあります。(下山後のメール便から)