下田山塊/笠堀川光来出沢 事故分析
(2001年7月23日作成 文責:橋本真吾)
【事故前の行動について】
そもそもの計画は笠堀ダム下山であった。粟ヶ岳への継続の計画になったのは電話での「粟まで行ければ美しいな」という私の何気ない一言に榎並が乗ってきたことによる。東俣沢出合から笠堀ダムへのエスケープとなった原因は矢筈岳稜線から東俣沢下降までの藪漕ぎが予定タイム3時間のところ倍の6時間近くになってしまったことによる。藪はシャクナゲが混じる潅木にツタが縦横無尽に絡まるかなり厳しい薮で、天気は二時頃まで晴れで、気温はかなり高かった。思うに、沢を遡行した後の薮漕ぎは体が環境の急速な変化にすぐに適応できず、順応するまでは通常の薮漕ぎよりも疲れが大きく感じられるのではないだろうか? 沢での我々のペースは決して遅くはなかったと思うので、粟ヶ岳まで行くためには2泊3日の行程では一般的に少し厳しいと思われる。
【事故直前榎並が20m前後先行していたことについて】
沢全体においては、トップはその時々で替わっており、逆に私がトップに立った時にそれくらい差がつくこともあった。ただ、東俣沢出合から先は殆ど榎並が先行していた。両者とも互いの実力の把握はできており、若干の悪場があっても相方が問題なく通過できるな、と思った時は特に相方に気にせず前進するのが我々の流儀であった。が、問題があると思われる悪場では一方的に行ってしまわずに必ずどうするか話し合って先に進んでいた。今回事故が発生した現場は話し合って突破するべき場所だったと思う。
【転落したのか、突破しようと自分から飛び込んだのかについて】
事故報告にあるとおり、私は榎並が飛び込む瞬間は見ていない。しかし、あそこで榎並がスリップして滝壷に転落したとは考えにくい。飛び込むしか突破する方法がなかったという訳では全くないし、そもそも私の目からはとても飛び込んで突破しようと思える滝壷の様子ではなかった。榎並の安全感覚では飛び込んで突破できると思われたのであろうか?そうだとしたら魔が刺したとしか思えない。
【救出作業について】
自分も滝壷に飛び込んで救出することが自殺行為であることは明白であった。セルフビレイをとるのは困難な場所であったので2mのお助けスリングを左岸の窪から榎並に投げつけて引っ張り上げようとした。が、水流の勢いが強すぎてスリングが手から離れてしまい助けられなかった。右岸から投げつけてトラバース気味に引っ張り上げれば、との指摘も受けたがその場ではその考えは思い浮かばなかった。普通泳ぎではザックは浮き袋代わりになるが、今回彼のザックに雨蓋がなかったためザックの中に水が入り放題になってしまい、むしろザックが重りになったことが致命的であった。水面に頭を下にしてうつぶせになった後、ザックが体から外れて、水流から解放されたが、恐らく最後の力を振り絞ってザックを外して脱出しようとしたのであろうか。
事故報告書は別途取りまとめる予定です。