下田山塊/笠堀川光来出沢 事故報告書
(2001年7月18日作成 文責:橋本真吾)
【日時】2001年7月16日午後2時頃
【場所】下田山塊/笠堀川光来出沢コバ滝(2m)
(支流石小屋沢出合より本流側に50mほど上流の地点)
【事故者】榎並祐史(25才・B+・日本山岳会青年部所属/慶応大学山岳部OB)
【事故概要】
突破しようとして自分から渦を巻く滝壷に飛び込んだか、誤って滝壷に転落したのか、どちらかは不明。滝壷の渦に巻き込まれる。何度か救助を試みたが、救出できず、溺れて釜に沈んだ。翌日10mほど下流の淵の底に沈んでいるのを遺体となって発見された。
※他参加者:橋本真吾(27・無所属/東京大学WV部OB)
【計画概要】
●行動計画
7/13 新宿〜ムーンライト越後〜新津
7/14 津川〜タクシー〜倉谷林道〜2万5千図の倉谷沢と書いてある部分の沢遡行(沢の名称不明)〜魚止山北コル〜魚止沢下降〜今早出沢遡行〜ガンガラシバナ下
7/15 〜ガンガラシバナ右方ルンゼ〜ヤジロ尾根〜矢筈岳〜1150m付近より光来出沢矢筈沢下降〜東俣沢出合
7/16 〜シンズ沢遡行〜粟ヶ岳〜長瀬神社
●実際の行動
7/14 (午前中小雨 午後より晴)
8時名無沢遡行開始〜稜線着13時〜魚止沢を下降して今早出沢8m2段横滝手前の河原17時半着
7/15 (晴のち曇16時頃より18時頃半頃まで雨)
4時半発〜ガンガラシバナ右方ルンゼ〜ヤジロ尾根(9時半着)〜矢筈岳(14時半着)〜1150m付近より光来出川矢筈沢下降して700m付近19時着
7/16 (晴)
5時20分発〜東俣沢出合12時着〜光来出沢を下降し、石小屋沢手前のコバ滝にて14時頃事故発生
【事故発生】
7月16日
東俣沢は切り立ったゴルジュの中に2〜5m前後の滝を次々と掛ける沢でザックを釜に放り投げた後空身での飛び込み、または滑り台の要領で突破できる。下りはいいが、登りで水線通しで行くのはかなり大変だと思われる。下降用の沢だろう。非常に暑いので水の中に漬かるのが心地良く、昨日の苦しい薮漕ぎを耐えた甲斐があった、と二人とも興奮する。
シンズ沢出合以降は右岸に巻道が付いているとのことであったが暑いのでそのまま沢沿いに下降することにする。
流れの緩い淵と河原が交互に現れ、白根丸淵を左岸から巻いた他は全て水線通しに下降した。事故発生現場の手前に大きな釜を持った2m滝が現れ、ここも当然の如く飛び込んだ。しかし、水面上からは見えなかった岩があり、左腕と腰を強打し、反動でヘルメットが脱げてしまった。メットは水面下に沈み,回収できなかった。初めてこの山行で恐怖感を覚え、榎並にもう少し慎重に行こうぜ、と会話を交わした。これが彼との最後の会話になった。
その15分後、10m前後の流れを泳ぎ下り沢床に上がると、その先に滝になっているような地形が見えた。シンズ沢出合から先、榎並は常に私より先行しており、この時は20mほど先行していた。榎並の姿は見えず、もう既にその先の淵を泳いでいるのかな、とその時は思った。すると、榎並のザイル下さい!! と言う叫び声が聞こえた。最高にイヤな気がしてその滝を左にあった窪に入って覗き込んでみると、滝の中に榎並がいた。その滝は一時的に川幅が1mくらいになり流れが強くなって、ゴルジュ状になっているところで、落差は1.5m、釜は直径2m程度だが、タコ壺状で釜全体が白く泡立っていて、一度はまったらいかにも抜けるのに苦労するような雰囲気があった。もう一段同じような滝があり、その先は流れの緩い淵で、左か右を淵までへつって淵に飛び込んで泳いで通過するのが正解だと一瞬のうちにわかった。どうして榎並がこの滝の中にいるのかが理解できなかった。半分溺れかけているようで、頭を水面から出たり入ったりを繰り返していた。その場所はセルフビレイを取るのに適当な木や岩、リスがなく、やむを得ず、セルフビレイなしで窪の中から長さ2mのお助け紐を榎並に投げつけたが、なかなか取れない。一度掴むのに成功したのだが、水流の勢いに負けて手から離れてしまった。そして、もう一回頭を下に水面に沈んだかと思うと、完全に水面に体がうつぶせになりいくら声を掛けても全くピクリとも反応しなくなってしまった。私も飛び込んで救出しようという考えが浮かんだが、実行することはできなかった。ただ榎並ー!と叫び続けるしかなかった。この状態が3分ほど続いた後ザックが体から外れ、目をつむった榎並が仰向けになったかと思うとゆっくり水面下に沈んでいった。ザックは滝の落ち口にずっと留まっていた。
【事故発生後の行動】
7月16日
一刻も早く救助を要請すべきだと考え、即下山を開始する。事故現場は右をへつって淵に飛び込み通過。大川出合を左に見送り、バックウォーターが見える辺りで右岸にある杣道に移った。途中蜂の巣があり、2ヶ所刺される。ダム湖で釣りをしていた男性(長谷川正さん、64歳)に出会い、事情を話すと、ザックを背負ってやるから空身でダムの管理事務所まで走っていけと言われ、お言葉に甘えさせて頂く。16時頃管理事務所着。ここでも携帯は通じず、管理事務所の方にパートナーが滝壷に落ちた旨話し、事務所の電話を使わせて頂く。まず、三条警察署に電話。次に木下、松原さん、榎並の実家に電話。在京の坂井さんとは電話が通じなかった。三条消防署へは警察の方で連絡を取ってくれた。17時ころ警察、消防の方が到着。簡単な事情聴取を受ける。17時半頃、ダム管理事務所のモーターボートを貸して頂き、消防署の方、長谷川さんと6人で捜索に出発。この捜索では日没まで、仙道に限定して行われることが事前に確認された。この途中、橋本がまたもや先ほどと同じ場所で蜂に2ヶ所刺される。1日で2回刺されると危険だから帰れと言われ、ダム管理事務所にボートで帰る。(18時)
管理事務所に帰ると県警の方にヘリに乗って現場を確認してくれと要請され、ヘリに乗り込む。18時半、50m?上空より石小屋沢の上流部にある事故現場をはっきりと確認。榎並、ザックはヘリからは確認できなかった。20時頃、杣道を捜索していた消防署の方が帰還。この日の捜索はこれで打ち切られた。翌日の捜索は朝7時から始まることとなった。
7月17日(火)捜索隊登山道側隊の記録
登山道側隊メンバー:松原、宗像、橋本、朱宮、村岡、鈴木、長谷川
6:00 捜索隊が事務所に到着、橋本と合流した後事務所職員と捜索方法の検討
6:45 警察、消防隊が到着。
7:30 2台のボートに分乗して笠堀ダム事務所前出発。
7:35 笠堀ダムの右端のボート乗り場に接岸。
7:45 登山道側隊出発。
8:10 光来出沢と大川との出会い付近で休憩。
8:17 出発。
8:32 石小屋沢通過。
8:45 コバ滝(現場)の上の広場に到着後、木を支点にしてザイルを固定しコバ滝右岸へ懸垂下降(宗像、朱宮、橋本)。遡行隊の木下、清水らと合流後、右岸側に宗像、清水、木下でリングボルトを3本打ち、ザイルを右岸側に設置。
8:50 救助ヘリ到着。
9:00 榎並の左岸側に浮いていたザック発見。
9:15 上浜が水上を泳いで捜索した結果、左岸側の水中の岩溝に引っかかっていた榎並の遺体を発見。
9:25 上浜によりアンカーを使って水上へ引き上げられ、そのまま下流の安定した場所へ運ばれる。
9:45 全員現場より撤収。
10:00 現場上の広場出発。
10:45 ヘリによって河原に安置してあった遺体を収容。
11:10 ボート乗り場着。
12:00 笠堀ダム事務所前出発。
12:45 三条警察署到着。
13:30 葬儀屋のマイクロバスを見送った後解散。
7月17日(火)捜索隊遡行隊の記録
遡行隊メンバー:木下、清水、上浜、青木、千原
7:45 登山道側隊とともに出発。
すぐに懸垂して、バックウォーターより、遡行開始。
途中、何度か泳ぎが混じるが、たいしたことはない。滝はなし。コバ滝は大川出合から約200mの地点。
8:45 コバ滝(現場)に到着。すぐに木下、清水で右岸バンドにロープをつけてのぼる。登山道側隊と合流して、ボルトを3本打って、ロープをFIX。
(以下、登山道側隊の記録参照)
【全体を通しての行動記録】
7月14日
名無沢、魚止沢ともに記録が全くない沢なので一抹の不安はあったが、特に問題となる箇所もなかった。魚止沢では懸垂を5回位はした。スノーブリッジは全て巻いた。ガンガラシバナ下まで行けなくもなかったが、若干疲れたので今早出沢8m2段横滝手前の河原で幕。メジロはおろか蚊も殆どいない。
7月15日
ガンガラシバナの大迫力を間近に二人とも大感動。ガンガラシバナ右方ルンゼは関東周辺の沢に載っている榎並言うところの高桑ルートをとる。トラバース気味にザイル3P出し1段目の落ち口に至る。トラバース中、ついさっきまで自分達がいたスノーブリッジが崩れ、2人とも青ざめた。その後、滝の右手にルートを取り、フリーで一気に登る。粟まで行くためには13時までに矢筈沢の下降に入らねばきついだろうと私は思っていたが、稜線の濃い薮と夏の日差しに情けなくも二人ともバテバテ。5級の薮?といったところか。矢筈岳以降は天気が曇りになり雨も降ってきたので多少は救われたが、結局矢筈沢を下降にかかりはじめたのは16時頃になってしまい、粟ケ岳まで行くのは殆ど絶望的になる。下降した沢は枯れ沢で、本流との合流点に降りるまで水は全く出てこなかった。本流に降り立つと雨もあがった。この時見た夕焼けの美しさは一生忘れないだろう。結局この日の行動終了は19時。なかなかハードな一日だった。