●対象:下田・川内山塊縦断 継続遡下降       
 叶津川赤崩沢〜中ノ又山〜室谷川本流右俣(下降)〜室谷川西の沢〜駒形 山〜大川大ぶな沢(下降)
             〜大川下矢羽津沢〜矢筈岳〜早出川割岩沢(下 降)〜早出川中流ゴルジュ(下降)
●期間:8/7〜13
●メンバー:榎並(慶應大学山岳部OB)、仙田(慶應バックパッキングクラブ)


7日 (快晴) 
 ゆっくり新幹線で出発、湯沢で各駅で来た仙田と合流。只見からタ クシーで叶津川沿いの道を行くが、沼の平への登山道の分岐のすぐ先に、工事の管理 人がいる車止めがあり、そこで降ろされる。準備をする間にも大型トラックが何台 も、管理人にゲートを開けられ通行しておりこの林道、地形図では大三本沢出合まで なのだが、その先も楽に2車線取れる道幅で延びており、新潟側の大谷川上流に抜ける計画なのであろう。
 15:00出発。木の根沢出合から木の根沢に沿いなお先に延びる林道と分かれ、しばらくは右岸のはっきりした踏み跡を伝う。やがてそれがはっきりしなくなったところで入渓。このあたりの叶津川は両岸が穏やかで、「今はもう 見られなくなった日本の河川の中流の原風景」という感じで雰囲気で気持ちよい。
 しかしこのあたりから問題のメジロ君が登場する。この後、延々1週間のお付き合いで学んだ彼らの生態は以下のようなものである。

メジロの傾向と対策??
1傾向  
 場所:平坦な河原やゴルジュ帯など中下流域に多い。滝の連なる上流部では少な い。尾根に上がればいない。  
 時間:陽の出てる間。夜はいない。  
 天候:悪天時は少ない。
2対策  
 ・肌を出さない。雨具・軍手・防虫ネットで完全に覆う(私は途中で防虫ネットを 落とし、大変な目にあった)こと。暑いが我慢するしかない
 ・テントに入ったら外に出ない。焚火など考えられない。テント内まで入ってきた 奴らを皆殺しにして、はじめて安息空間が確保される。炊事でもすればテント内 は暑くてしょうがないがこれも仕方ない
 ・休むときは、ザックから離れる(奴らはザックに群がる)
 ・虫除けスプレー・香取線香のたぐいはほとんど効かない。
ともかく、半端じゃないです、行った人にしかわからないでしょう この日は、引入沢出合右岸のぜんまい小屋跡で泊まる(17:25着)。


8日 (快晴) 
 4:40発。相変わらず穏やかな渓相。晩秋にでもまたのんびり歩 いてみたいとこだ(メジロもいないし)。
赤崩沢に入ると、5〜8mの滝が幾つか現 れるがさしたる困難はない。
早い段階で水が消えるが、藪の植生が深くないのでそう 苦労せずに中ノ又山着(9:30)。
 ここから室谷川を下るが、はっきりしない地形の中、右俣と左俣の源流が接近してい るので、慎重に北寄りに磁石を振り右俣に入る。視界が利くと、左俣右岸の一面のス ラブの広がりが目に入るが、その壮絶さを見ながらだと奇跡的と言ってもよいのだが、幸いに右俣は一部40m程緩いスラブが現れたのみでノーロープで下ることができた。
 二俣付近は釜の深い小滝が連なり、登りだと苦労しそうだが下りは滑り台の要 領で水遊びが楽しいとこだ。
二俣(12:05)の先からはメジロが増え出す。この日は雨具を着てなかったので、腕を集中攻撃される。
そのことばかり気を取られ、このあたりはあまり記憶にない。西の沢出合から8m滝を登った、西の沢右岸の絶好の台地を見つけそこで泊まる(13:50着)。


9日 (快晴) 
 4:40発。西の沢は562m地点から急なゴーロで高度を上げ出 し、その先で25m滝を落とす。この沢の記録は、「日本の渓谷’97」 の浦和浪漫の下降のものしか手に入らなかったが、彼らはこれを左岸から巻いている ので、この滝を登った記録は見ない。
 確かに右から巻けそうだが、「記録なし」に惹 かれロープを着け直登することとする。水流右を登り、最上段で左に移る快適な登攀 であった(一部4級、おおむね3級程度)。その先の16mスラブ滝を右から巻き気 味に越え、上部二俣を左に取り、駒形山北峰(1096mP)のやや南に詰めあがった。
 北峰(10:10-30)は藪の背が低いので視界が利き、間近の室谷川上流のスラブ帯、目指す矢筈岳から、遠くは越後三山や平ヶ岳、飯豊などの素晴らし い展望を楽しんだ。
 ここから大川大ぶな沢の下降を開始。急傾斜が続くが途中1回10m程の懸垂をしたのみで、濃い樹木の中の急なゴーロ下りで済んだ。
 20m魚止めの滝を懸垂すると、 大川は両岸に段丘に配した穏やかな渓相となる。が、こういうとこまで下ると、またメジロ君の攻撃を受ける訳で、残念ながら足を早めるしかないのだ。
下の矢筈沢出合の好幕場に15:40着。


10日 (快晴) 
 4:40発。これまでの穏やかな遡下降から一転、下の矢羽津沢 は両岸草付きの側壁に覆われ、急展開が続く遡行となる。
 まず10m滝を空身リード で右斜上し抜ける。
続く20m滝は左から楽に巻くが、次の7mCS滝はハングしてお り手に終えず、しばらく戻って右岸の長い高巻きとなる。そのまま次の8m滝も巻き、15mの懸垂で沢床に下りると、今度は高さ15m程の見事なSB登場。下を走り抜けると、沢は右曲し伏流のゴーロとなり一息つける(8:20-40)。しかしふと地図を見れば、こんなことで標高は500m、下田の沢はすごい。
 東進するゴーロを詰めた後、右岸に落ちる100mのスラブ状滝を越えるのが正規ルート。しかし、水量はそのまま東に上がる枝沢の方が明らかに多く、我々はまだスラブ滝は先と思い、ルートミスを犯す。さらにこの枝沢の30m斜滝を右から越えようと(9:45)したとこで、そのまま右上の藪に追いやれてしまう。しかもポリタンに水を汲み忘れたまま…。この2つのミスで大はまりとなる。
 水流からどんどん外れやがて露岩が現れザイルを着ける。スタンスの乏しいもろい岩を、ところどころのか弱いブッシュを力まかせにつかみずり上がる、やばいピッチであった。その後は藪の中に入るが、かなりの傾斜である。
 垂直藪漕ぎに慣れない仙田は、腕が張ってばて気味。荷物を抜いてやるが、脱水状態で私も力が入らない。
牛歩 の歩みで14:10、960mP下の尾根に出るが、この日差しの中さらに藪を漕ぐのは危険と思われ、涼しくなるまで横になって休むことにする。後で気づくが、ここで仙田は今回のために買ったバイルを落とす。
 16:00発。1030mPまで藪を漕ぎ、18:15大滝上の狭い沢床に懸垂で下りきる。水こそ流れていないが、水たまりが随所にある。天候が安定してるのでその場に設営、虫の死骸の浮いた水を煮沸し飲みまくる。


11日 (曇時々晴) 
 5:10発。ここより上部は平凡で全く問題なく、念願の矢筈岳に立つ(7:10-35)。
 この先、このパーティでは割岩沢源頭のスラブ 帯を下るのは厳しいので、三本のルンゼの内、真中と東のルンゼの間の尾根の藪を濃 いで下ることとする。何度か尾根を外しそうになるが、我ながらなかなかのルートファインディングで末端まで下ることが出来、35mの懸垂で東のルンゼに下降、さ らに枯滝を10mの懸垂で3本ルンゼ基部に降りきった(9:50)。ここからも西俣沢出合先までには、35m大滝を始め、10m程度の滝が連なりまだ計6回の懸垂を強いられる。
どれも直登可能そうだが、登りだとだいぶ手間がかるように思う。一時、雨がぱらつきあせるが、それも上がり北俣沢出合の切り開きの幕場で泊まる(15:50)。


12日 (雨のち曇) 
 未明から断続的に激しい雨。ラジオでは新潟市を中心とした集 中豪雨を伝えている。雨が上がるのを待ち、9:45発。
 1m程に流れの圧縮された ジッピのゴルジュは、ライフジャケットを着けぷかぷか泳ぎ下る。その先は両岸スラ ブの中に明るく広がる河原が続き、山深さが感じられてよい。ユウ沢出合の先でまた 雨がぱらつくが、ひどくなる前に今出着(14:10)。雨の中、沢臭さとメジロの 死骸が染み付いたテントで、「ラーメンが浸水した」とか、やってるとそろそろ里 が沸いてくる。


13日 (晴時々曇)
 5:15発。朝方はガスの低いはっきりしない天気だが、 徐々に回復、昼前には晴れ間が広がるようになる。
コスゲ淵、大釜淵、シゴヤなど次々と泳ぐ。ロープを出して荷上げという手間がなく、浮いてればいい下りは楽チンである。室谷から入って週末2日で中流ゴルジュを下るなんてのもいいかもしれな い。幕場も、資料がそろっていることもあり、そこそこ多く得られろうだ。
 今日中に 下山するのは厳しいと思っていたが、行程がはかどる。しかし最後の湖岸の踏跡へ上がるポイントである丸子橋が(流されて?)なくなっており、その先のドウゾ淵まで下ってしまう。すぐ戻ればいいのを、右岸の藪を漕いで 途中で合流しようと試みたため大幅に時間をロスした(14:40-16:30)。
 早出ダムにはすっかり暗くなった19:15着。中杉川に入るという4人パーティに 会うが、ダムの管理人がいないため、さらに田川内の酒屋さんまで歩き、ここで電話を借りタクシーを呼んだ。
 運ちゃんの勧めで、「自治体が作った」系の温泉(名前忘れたけど、いいとこです) へ。
 その後、村松から蒲原鉄道の終電に乗り、飯にありついた新潟のラーメン屋では 23:00を過ぎていた。あんまり遅い時間の下山は余裕がなくて良くない。駅寝して、翌日の帰京となった。

 メジロは水のきれいなことにしか住めないという。行きも帰りも林道に出た途端に、 いなくなった。北海道を除けば、7日間、登山道や林道に会わず、自然なルートで継続遡下降出来る 山域は下田・川内の他、そうはあるまい。そう考えると、あのメジロの大群は乱開発を免れたこの山域だからこそ、なわけで、 ここの豊かさの象徴なのかもしれない。メジロはもう勘弁とか言ってても、帰ってくるとそんな風に考えさせられる。