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事故を起こさないために夏山の気象を知ろう
                
日本気象協会・清水輝和子
会報「山」649(1999年6月号)

事故を起こさないために
夏山の気象を知ろう

                    日本気象協会・清水輝和子

   青い空にそそり立つ岩稜や、緑の本々に囲まれた
   冷たい渓流を思い浮かべ、
 そろそろ夏山の計画を立てている会員も多いと思います。
 雪が消えて山も落ち着く夏は、登山のシーズン。
しかし遭難事故も夏に多発しています。その原因の多くは、
大雨、台風、落雷など、天候の急変によるといわれています。
 悪天を避けて楽しい登山をするために、
夏の気象の特徴を清水輝和子さんに解説していただきました。


昨夏は悪天による遭難事故多発

 長野県警山岳遭難事故統計によると、昨年の長野県内の登山者数は、上高地群発地震の影響に加え、天候にも恵まれなかったことから、前年に比べ約12パーセント減少した。
にもかかわらず、遭難事故は107件と8件も増えている。しかも、発生件数を季節別に見ると、7、8月の夏山シーズンに集中し、半数を超えた。これは、夏山の最盛期に当たる7月下旬から8月にかけて、大雨や集中豪雨が発生したため、悪天による遭難事故が相次いだからだ。

北日本は冷夏、西日本は猛暑

 8月2日、関東甲信地方はやっとツユが明け、そのころ新潟では観測開始以来の集中豪雨があった。気象庁は「北陸、東北地方のツユ明けは特定できない」と、異例の発表をした。この異常とも思われる天候の背景には、北日本冷夏、西日本猛暑という極端な対峙があげられる。

 東日本は寒、暖両気団にはさまれ、前線活動は活発で「平成10年8月豪雨(26〜31日)」が降った。
東日本の山は大荒れの天候で、夏山遭難を防ぐ教訓を残した。

 たとえば、天気図上に日本列島を縦断する前線と、南海上に台風が現れたら、山は大雷雨や暴風雨に襲われる。それにもかかわらず山に行くのは極めて危険である、という話からはじめよう。

 図1は、北アルプスで死傷者を出す落雷事故(2件)が発生した8月28日の天気図である。これは典型的な集中豪雨型で、27〜28日にかけて那須、丹沢、南アルプスなどで1時間に50〜100ミリの強い雨が降った。

 図2に、集中豪雨型の模式図を示す。太平洋高気圧の縁辺部を回って暖かく湿った空気が流入し、前線活動が活発になる。南海上の台風は、暖湿流を送り込むポンプのような役割をし、前線の活動をさらに活発化させる。暖湿流域は舌のような形をしているので“湿舌”と呼ばれ、その先端の前線付近で集中豪雨がよく起こる。風下にあたる山の斜面では積乱雲が次々と入り、短時間の強雨や突風があり、崖崩れ、鉄砲水などの恐れがある。

 豪雨発生のない山域でも大気は不安定で、大雷雨になりやすい。アプローチの段階から危険なので、予想天気図が集中豪雨型になったら、山には絶対に近づいてはならない。

 昨夏は8月中旬にも集中豪雨があり、岐阜県白川郷では、土砂崩れのためキャンプ客百余人が孤立。烏帽子小屋から下山した麗澤大学山の会のパーティーのうち、二人が濁流に流され、一人が行方不明となったのは、痛ましい事故として記憶に残った。

 この他、雨天中の行動でスリップ、道に迷う、雨で雪がゆるんで発生したと考えられる落石事故があった。
大冷夏の年や熱帯低気圧が次々と北上するなど、天候不順の年は、長期の縦走や沢登りは避け、天候の回復を待って、短期間の山行計画に変える必要がある。昨年の夏を教訓にし、暑い夏は毎年約束されているわけではないことを、登山者は知っておくべきであろう

 ところで、気象庁の長期予報によると、今年は夏らしい暑い夏が期待でき、昨年のような天候不順にはならないようだ。とは言っても、北日本には寒気の南下する時期があり、本州の山岳地帯は前線による悪天が予想される。

夏山気象の基礎

 「ツユ明け十日」とよく言われるが、ツユ明け後に安定した夏空が10日程度続く年は意外と少ない。ツユが明けても梅雨前線が北日本に残っていると、東北の山はもちろん、北アルプスや八ヶ岳、白山、上越県境の山々も雨や雷雨となり、悪天が続く。

 また、梅雨前線が南下してツユが明けることもある。南と北の気団の境がなくなって、次第に夏型の気圧配置に移行するが、山岳地帯の天候は雨や雷雨でしばらくは安定しない。

 日本付近に梅雨前線がなくなり、太平洋高気圧に広く覆われるようになれば、本格的な夏山シーズンとなる。

 太平洋高気圧の勢力は、一週間から10曰くらいの周期で弱まったり強まったりする。弱まると、図3のように北日本を低気圧が通るので、北海道や東北の山は雨や雷雨となるし、その他の山でも、寒冷前線の通過とその後の上空寒気の影響で、数日間雷雨が続く。前述したように、この夏注意したいのは、この天気図型である。

 雷雨といえばで夏の午後は毎日のようにあり、早立ち、早着は、登山者の常識となっている。上空に寒気が入ると、発生時間も早まり、寒冷前線の通過と日中の昇温が重なると、大雷雨となる。

 また、台風は接近数、発生数ともに8月が最も多い。南海上に離れていても、一晩のうちに北上して嵐に遭った、という経験が私にもある。
山岳地帯は地上より早く影響を受けるので、台風が南海上にあるときは、ラジオやテレビで最新情報を入手する。進路予想は気象庁の発表をよく聞き、素人判断はしないことが鉄則である。

 夏山でもよくあるのは疲労凍死、雨や汗で濡れた体に強風が吹き付けると、体温が急激に下がり、思考能力も低下する。風速が1メートル増すごとに、濡れている皮膚の温度は1.1〜1.7度下がる。2500メートル以上の山では、真夏でも雨天の日の最高気温は10度前後。稜線では秒速20メートル以上の風も珍しくない。

 また、食物の補給がないと、体温を保フためにエネルギーを消耗し、体温が20度以下になって死亡する。
風の強い雨天には無理に行動せず、行動中は糖分の補給を心がける。下着は速乾性の化繊を着用するなどの予防が大切。

 以上夏山気象のポイントを述べたが、最も重要なのは、気象知識を生かすことである。悪天の予想ができても、計画の変更や中止ができなければ意味がない。天候より休暇や登頂計画を優先させた行動が多くの事故を生んでいる。「また来ようね」といえる精神的な余裕と柔軟性が、初心者にもベテランにも必用なのである。

山649 (1999年/6月号)


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