科学委員会
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◆講演会「山岳における危機」
1982年(昭和57) 8月12日
[共催 自然保護委員会]
Jack D. Ives(国際山岳会々長)
通訳:小野有吾(筑波大)
参加者:46名+α  報告:山447(中村純二)

科学研究委員会第十三回講演会(自然保護委員会共催)

  山岳における危機

       国際山岳会々長   Jack D.Ives 氏

  昭和57年3月12日(金)18時半よリルームにおいて標題の講演会が行なわれた。国際山岳会(IMS)とは、ユネスコや国連大学の後援のもとに広く山岳環境を調査研究し、環境の保全や、登山者への情報提供あるいは一般教育への寄与等を目指す組織である。当日は国連大学からMacDonald氏も出席され、佐々会長の挨拶の後、筑波大学地球科学系の小野有五委員による適確な通訳により会は進行した。ブロニー判の百数十枚に及ぶ美しいスライド映写の効果も相俟って会の雰囲気は大いに盛り上り、講演終了後活発な質疑応答も行なわれた。

<講演要旨> 
 IMSは昨年発足したばかりの会であって、日本山岳会をはじめ米英仏伊等の山岳会など広く山岳を愛好しておられる方々や、科学を通じて山を見ている方々の両方に働きかけ、山岳環境についての認識を深めると共に、登山活動を愈々盛んにすることを目的としている。

 今日は私共の主要テーマの一つである山岳における危機的状態について幾つかの地方を例にとって訴えたいと思う。

(1)ネパール
 チョモランマやカンチェンジュンガは神々しいまでに美しく、私共の精神活動まで鼓舞して呉れるが、この数十年来自然によっても人工によってもその環境は大きく破壊され、生態系や住民の生活体系までおびやかされて来ている。

 たとえば標高1千メートル付近のカカニ地域(カトマンズ近郊)では1950年以降30年の間に実に森林の60%が伐採されてしまった。これは一つには人口が急増したためで、直接的には薪用その他のために森林が無計画に伐られたことによる。また道路建設によっても山崩れや、それによる河川の侵食、沈殿作用が促進され、種々の災害がもたらされた。一方3日間に500ミリといった豪雨に見舞われ、2千人もの死傷者を出した他、1千ヶ所以上で道路が寸断されさらに二次的には下流のガンジス平原に大洪水を惹き起こすといった自然災害も見られた。間接的には人口の増加に伴なって斜面の段々畠を拡げる必要に迫られ、次第に急傾斜の土地に段々畠が作られてゆき、あるいは薪を遠くまでとりに行くため、牛馬の通過できる広い道を建設することになり、これらが山崩れや鉄砲水に一層拍車をかけることにもなった。現在この地域はユネスコによる自然災害防止のための第1の調査地域に選ばれている。

 第2の調査地域は標高2千メートル付近のナムチェバザール近郊である。エベレスト・ヴューホテルの後
方でも薪用に多くの樹が伐られ、景観が一変したが、現在では暖房炊事等すべてガスボンベで購っている。それでもなお森林の破壊は続き、これら森林の再生は気候的に殆ど不可能なので、事態は深刻である。アマダプラムの見えるゴーキョ地方には2つの河の土砂流が河をダムアップして出来たゴーキョ湖がある。これらの土砂流は、氷でダムアップされた水が氷の融解と共に一時に流れ出すために起こる現象である。クーンプ地方にはこのような氾濫のおそれのある河岸に新しく茶店などでき始めているが、極めて危険な状況であるといえる。何年目かに確実にやってくる災害を人々は決して忘れてはいけない。

(2)チベット高原
 世界有数の乾燥地域で、人々は燃料や水をどうして得るかが最大の問題である。次第に潅木まで薪にされ、農耕地までせばめられるに至った。これを解決するため、現在では地熱発電や、砂丘地形における地すべりの防禦対策などが試みられている。

(3)天山々脈
 蘭州氷河凍土研究所(施雅風所長には昭和55年10月当委員会の講演会で話して頂いた)が中心となって氷河や雪崩の研究を行なっている。ウルムチ付近ではキルギス族が放牧を行なっているが、ここでも森林の伐採が行なわれるので雪崩が起こり易くなっている。このため、道路が雪崩道を横切る所にはフェンスを取り付ける等の工夫がなされた。緩傾斜地に道路を作ると土中の水が凍結し、それが斜面を流れて落ちる流土(solifluction)の現象も見られるので、道路の選定にも配慮が必要である。

(4)チェンマイ山脈
 黄金の三角地帯と呼ばれるこの地方は降雨の激しい地域である。ここでも人口がコントロールさ
れて居らず、急傾斜地まで耕地化されると共に、土地の侵食が促進され、土質も保存されず、次々に荒地化か始まっている。これに対し、タイ国とユネスコの協同で調査研究か進められ、現在菊科の植物を植えて地すべりや土質を保存しようとしたり、土地の傾斜ごとに降雨量と流土量の関係を調べてオーバーユースに警告を発する等の試みが行なわれている。

(5)以上幾つかの地域について見て来た自然災害のパターンは、南米やアフリカその他世界各地の山
地についても言えることで、私共は国際的な規模でこれらの問題を取り上げて行くべきであろう。

 勿論自然環境の保持と同時に山地住民に対する影響を考える必要がある。この意味では、自然科
学と同時に社会科学的な研究も必要である。また農民と林業経営者、高地族と低地族、さらに高地住民と登山者も互いに相手のことまで考えて活動すべきである。

 ヨーロッパのアルプス地方には古くから人間が住んでいたが、現在でも自然環境への人間の力のはいり方が少なく、家屋なども環境にマッチしている。これら自然との調和を図る生活方法は大いに参考にすべきであると思う。

 いずれにせよ、凡ての分野の人びとが協力して危機的状況にある山岳環境の保全に取り組むなら
ば、その労は十分報われるものと私は期待したい。

出席者 J.D.Ives、L.. MacDonald、吉野正敏、沼田真、田中薫、小野有五、徳久球雄、佐々保雄、
田口二郎、渡辺兵力、国見利夫、中村純二、中保、小林詞、岩田修二、清水長正、小野寺恵子、神谷光昭、武田満子、松沢節夫、山川信之、田村光穂、大沢雅彦、酒井徹哉、柳林実、原芳生、春田俊郎、斉藤健治、梅野淑子、小西奎二、関口周也、近藤緑、山口一孝、高遠宏、中野守久、勝尾光一、漆原和子、斉藤かつら、平井拓雄、野田憲一郎、西村政晃、中村あや、沢井政信、木名瀬亘、近藤信行、高橋詞 他。

     (中村純二)

山447(1982/9月号)


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