科学委員会
KAGAKU                        講演会


◆講演会「低圧トレーニングの実際と応用」
1981年(昭和56) 10月23日
山岳会ルーム
島岡 清(名古屋大学総合保健体育科学センター)
参加者:25名 報告:山439-1982/1(島岡 清)

科学研究委員会・医療委員会共催講演会報告

  低圧トレーニングの実際と応用

名古屋大学総合保健体育科学センター
         島岡  清氏


 私達は1980年から81年にかけて、名古屋大学環境医学研究所にある低圧実験室を用いて、6千メートル級から8千メートル級の高山に遠征する4つの登山隊に対して、それぞれ低圧トレーニングを行い、良い結果を得ることができた。今日はそれらの結果についてなるべく具体的に話したいと思う。最初の低圧トレーニングは、1980年6月マッキンリー(6192メートル)に遠征する高山研究所遠征隊の隊員2名に対して計4日間行った。低圧負荷は初日 4千メートル、2日目 5千メートル、3日目 6千メートル、4日目 7千メートルとして、それぞれの高度で自転車エルゴメーターによる運動を行った。

 運動強度は、平地での最大強度の約半分程度の負荷とし、これを2〜3回にわけて計1時間程度行った。低圧暴露時間は計2〜3時間であった。その結果、彼らはマッキンリーではほとんど高山症状を感ずることなく、きわめて早い速度で登ることができた。1980年12月には、高山研究所のアコンカグア(6959メートル)遠征隊員に対して、2〜3日間の低圧トレーニングを行った。

 低圧負荷は4千メートルから始めて千メートルごと高度を上げ、それぞれの高さで12分間の運動を行う漸増負荷法とした。最終的な低圧負荷は6千メートルであった。低圧暴露時間はさほど多くなく、低圧を体験してみるといった意味合いが強かったが、それでも4千メートル地点のベースキャンプに短期間で入った直後から、ほとんどの隊員が登山活動を始めることができたという点で評価できた。

 7千メートル級の登山に対するトレーニングとしては、1981年7月に、川崎市教員隊のムズターグアタ北峰(7420メートル)登山隊に対して4日間行った。低圧負荷は、初日 5千メートル、2日目 6千メートル、3日目 7千メートル、4日目8千メートル(但し8千メートルは短時間の滞在)として、それぞれの日に、4千メートルから最終高度に到るまでの千メートルごとに運動を行った。その結果、彼らは4800メートルのベースキャンプに入った時点でいったん全員が高山病にかかったが、3800メートル地点まで下って1日の休養をとった後、約1週間で初登頂することができた。登山開始時に急激に高度を上げたにもかかわらず、4200メートル地点までは、全員が全く高山症状を感じていないこと、及びいったん休養を取った後はかなり快調だったこと等から、ある程度の効果はあったと考えられる。1981年4月には高山研究所ダウラギリT峰遠征隊に対して、同様の低圧トレーニングを行なった。隊員がすでに豊富な高所経験を持っていたことから、低圧負荷は、初日6千メートル、2日目7千メートル、3、4日目8千メートル、1週間おいて5、6日目 8千メートルとした。これはきわめて強い低圧負荷であり、高所経験が十分でない限り無理である。この場合、隊員は3日目に8千メートルでの運動が可能であった。但しその後は体調をくずし、8千メートルでの運動を完全に遂行することはできなかった。

 この登山隊は、天候のために、力トマンズに着いてからベースキャンプに入るまで、約1ヵ月を要し、低圧トレーニングの効果を見るには期間が長すぎるが、結果的には禿隊員がダウラギリT峰(8167メートル)に単独で登頂した。これら4つの低圧トレーニング実験から以下のことが言えると思う。
(1)平地で強い体力を持つ者ほど低圧下で運動した場合にも強い。
(2)高所経験の多い者ほど低圧トレーニングの効果も大きい。
(3)実際の高所登山では、平地での体力トレーニングと高所経験が大変重要である。
 以上、これまで行ってきた低圧トレーニングについて要約したが、今後はもう少し生理的メカニズムについても研究して行きたいと考えている。

出席者:金坂一郎、高本信子、黒石恒、渡辺兵力、高遠宏、草野延孝、山本正嘉、長島正浩、竹内雅雄 他16名
 (この原稿は南極昭和基地から届きました)

山439(1982/1月号)


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