AGC 分水嶺

AGC VOL29

分水嶺踏査を終えて  

2006年5月7日

.日本山岳会 山岳地理クラブ 
(踏査区間:P.1624反射板跡地から黒滝股山東北東稜線約1キロ地点まで)
(メンバー:北野、平野、近藤、西村、半田、羽鳥、森合、今井) 

以下、その報告である

今井秀正 記

 アイゼンをつけてピッケルを手にしての藪山歩きなどやる者は、まず変人といわれるかもしれない。しかし立夏を迎えた今、残雪が無ければまず長時間の猛藪歩行が避けられない稜線なので、雪・藪のミックスは受け入れざるを得ない。今を逃せば、次の春を待たなくてはならない事になってしまう。足掛け3年も挑戦しているコースなのだ。自分の行動を振り返ってみると、なんと、どうやら下見を含めて9回目目の入山のようだ。

 南会津の下郷町音金から番屋川源流をつめた番屋のコル稜線西の反射板跡地ピーク(1624m)から昨年5月4日に西方から踏査した黒滝股山(1405.7m)南東の稜線東北東N37°08′13.8″、E139°50′31.5″、標高1328mの地点間が未踏査の区間として残されている。今回はここを何とか繋ぐことによって、当会の責任区間を踏査しつくすことが目的であった。

 当初は番屋川からのA隊(西村・森合・今井とサポートの近藤・羽鳥)と、隔田沢南のP.852mからの稜線経由B隊(北野・平野・半田)の2隊に分け、分水嶺稜線で合流し、両隊はそのまま隔田沢(ヘタザワ)へ同行下山の計画であった。しかし2日の調査の結果、隔田沢林道が工事によって通行できないということなので全員が番屋川コースからということになった。

 5月3日朝6時に会津田島駅前に集合した。
 北野、平野、西村、半田の4名は前日到着し、事前調査のあと、駅前の佐野屋泊。近藤、羽鳥は今市方面経由、森合、今井は塩原経由で深夜田島着で双方車中で仮眠をとった。

 7時20分にいつものN37°09′34.7″、E139°52′39.0″から番屋川へ入った。林道上には蕗の薹がたくさん見られ、帰りにお土産として採取しようと考えていた人もあったようだ。最初の沢の渡河は雪解けでいくらか増水はしていたものの、沢幅が広がっているわけでもなく、心配していたほどの苦労なく渉ることが出来た。        
沢筋は雪解け後間もないせいか、植物もまだ目をこすっている時期のようで、初夏の姿とは思えない状態であった。1250m付近でアイゼンを装着して雪渓歩行に入った。9時20分頃である。

 当初はGPSに登録のコースを忠実にたどっていたものの、傾斜が強くなるにつれて、半田隊員のリードで安全と思われる斜面を選びながら歩いたためか、10時35分に予定の到達点の番屋のコルよりも100mほど東の稜線に到着した。N37°08′58.9″、E139°53′04.9″、1507m地点である。アイゼン装着地点と水平距離では300ないし350mであるが、1時間15分かかっている。このコースは去年の雪がない時期の笹薮との格闘経験を思い出すと嘘のように楽?な歩行であったといえなくもない。雪渓の傾斜はきつく、滑落すれば潅木はあるものの、大怪我あるいは最悪の事故になる可能性が大きい地点である。一名の小滑落があったが、笹薮の直上であったため、大事に至らずに済み、何とかクリアすることが出来た。午後の気温が上がった条件での腐れ雪状態では、かなり危険であろうと思われ、下りの心構えの必要を大いに感じた。

 11時5分、稜線から、番屋のコルを経て南西へ約600mほどの標高1624m地点、旧反射板設置地跡地へ11時45分頃到着して大休止。暖かい小笹の上に寝転び、ちょっとウトウトしかけた隊員もいたようだ。展望はすばらしく、那須茶臼山の気まぐれ噴煙の噴出しの変化も手に取るように見えた。

 今日同行できなかった遠山会員が車で音金北部の十文字付近まで駆けつけていたので、稜線上からもうひとつの目的でもある無線交信を試みた。結果は大変良好(メリット5)であった。交信しつつ、付近の子供と双眼鏡で山上のわれわれを探したらしいが残念ながら確認は出来なかったようだった。13時15分に今日最後のピッチをスタートし、14時20分に天泊予定地の赤柴山山頂直下へ到着した。隊員それぞれ天幕設営組みと、赤柴山三角点調査組みとに分かれて、小作業を行った。三角点の標石は発見できなかった。

 いつものごとく持ち寄ったつまみとアルコールで小宴会と、それぞれの夕食を済ませ、上弦の月のもと、しばし雑談を楽しんだ。20時頃には眠りについたようではあったが、雪上の幕営は少々寒かった。

 5月4日朝は5時過ぎ起床。上尾の自宅へ帰った遠山会員と約束の6時定時無線交信を、つくばのレピータを経由して行ったが、早朝のためか混信もなく、メリット4ないし5の通信が出来た。
 それぞれ朝食後、サポート隊の近藤・羽鳥隊員と別れて本日の目的地へ。サポート両氏は、赤柴山頂まで見送ってくれた。記念写真撮影の後、7時の出発であった。

 今日も天候は昨日に増してクリアな紺碧の空で、P.1504mからの360度の展望は大変にすばらしいものであった。飯豊連峰や越後の山々、会津駒、日光、尾瀬方面さらに南西方面の上州の山と思われる同定できない峰がはるかかなたへ続いていた。
 この展望は番屋から黒滝股山を経て栗生沢辺りへ抜けるハイキングコースを整備し、稜線に避難小屋でも備えたらきっと観光コースになるのではないか。流石山から三倉山は今でもかなりの人が入っているわけだから、番屋のコルからの下山コースも整備すれば一日コースで組めると思う。流石のキスゲのお花畑や石楠花も多くの人に見せたいものだ。

 さて、今日の目的地までのコースの展望はさておき、森合・半田・今井のアタック3名は雪庇の付け根を恐る恐る歩き、危険な部分は大藪へ踏み込んでトラバースし、潅木や蔓、笹に絡まれ、浮き出た根にアイゼンを引っ掛けて転びながら、まさに大格闘で、手に持つピッケルの邪魔なことはこのうえもない。また、安全なところでは雪上へ出るなどの末、9時10分に最終目的地である昨年、今日と同日の5月4日到達点に到着した。N37°08′11.7″、E139°50′30.4″、1328mである。

 本日のために天はわれわれにこの好天を提供し、大いにサポートをしてくれた。そして同行できなかったが、天幕を貸していただいた鶴田会員、無線でサポートの遠山会員、天幕荷揚げの近藤・羽鳥サポーター、展望満喫のため1427mの展望台で待機の北野代表、平野、西村各位の協力なくしては完遂することは出来なかった。小生は、地理クラブで新参の会員ではあるが、何とか会のお役に立てたことでちょっと自己満足をしている。

 帰路は同コースであるが赤柴山への300mほどの登りになり、往路より藪との闘いが思いやられたが、何とか13時10分に天場へ帰着した。

 明日の下山は雪の都合からなるべく早朝に行うほうが安全と考えられるため、極力番屋のコル近くへ移動することにし、天幕を撤収して、旧反射板跡地の笹原へ移動して泊とした。笹上の天泊は昨夜と違って快適であった。
 歩行間隔が離れた平野隊員と無線を常時ワッチしながらの歩行は、我々だけしかいない山域を歩く身にとっては、大変心強いものであった。

 5月5日は朝7時15分天場発で、9時25分に無事駐車場へ帰着した。
 帰路の林道脇には、キクザキイチゲとやらの、それはしとやかな白い花が一昨日は見られなかったのに、帰りを待って迎えてくれた。思い出に残る花になるだろう。
 心配していた東北道の渋滞にも何とか捕まらず、ほぼ順調に帰京することが出来た。

 そのようなわけで会の踏査責任を事故も無く、先送りせずに果たすことが出来た。
 やれやれというところである。皆さんお疲れ様でした。

                               以上 
今井秀正 記

Data:
.

観測日:

2006/5/4

山地名:

赤柴山

点名:

中ノ沢

等級:

3等

GPS位置: 

標高: 

1634.5m

標石の方位:

標石の寸法:

保存状態: 

不明

該当地形図:
日光 栗生沢

備考:
中央分水嶺踏査・担当区域踏査時探索


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