AGC 分水嶺

AGC VOL 24

大萱峠 

200年8月25-27日

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報告( 遠山記)

25日20時46分、大萱峠探索は沢沿いのため中止することを皆さんに連絡しましたが,翌26日夜になって山部薮人さんから連絡があり、台風情報や河川情報を分析した結果、入山可能と判断したと連絡がありました。時間を見ても27日朝までに栗生沢へ行けるのは自動車で参加できる方だけとなるため半田さんに連絡、その結果参加できるとの事から、山部さんにも連絡。すっかり諦めていた入山だっただけに、遅くなってから準備に慌しく、何時間も寝ずに午前3時半頃に出発。

用意できなかった燃料を給油したり、地図をコピー,食料の調達、午前7時に栗生沢に到着。すでに半田さんは到着していました。後に栃木県組も到着し、栗生沢の真中にある公園に駐車し準備開始、朝食後午前8時25分出発。

ところが、どうもボウとし、足がフラフラ。約1時間歩いたところの台地上から谷に下る地点で、このまま歩くと危険と判断。私はリタイアすることにしました。その後は半田さんと山部さん、山部さんの友人である村山さんの計3名で先に進み、途中難儀しながら大クト沢源流部の三つに分かれる地点から先に沢を前進するのは不可能と判断、標高点1360m北側のピークに登り分水嶺に出て、標高点1360mを通過し、大萱峠手前の開けたところでビバーク。

28日は大萱峠を通過し標高点1445mを経て前回の最終地点に到着、再度大萱峠に戻り、今度は無理やりに沢を下山、途中で大きな落石等を起したりしたそうですが、なんとか下山でき、平野さんから見せていただいた大きな地図に記録されていた大クト沢とアノ山沢の分岐付近に記録されている山王について、現地に祠があり125円置いてあったとの報告がありました。

とにかく、標高点1360mと大川峠は、これで完全に踏査できましたこと報告しておきます。ちなみに峠には何もなかったそうで、昔の道も判らなかったそうです。

さらにリタイアした遠山は、休憩後27日午後から奥会津地方歴史民俗資料館に大萱峠についての資料を送ってくれた渡部さんと会い御礼とさらに資料があったらとお願いしました。ところが渡部さんは来年発行される予定の『新・会津の峠』の原稿を依頼されており、それも大川峠と大萱峠とのことから、こちらから写真等の資料を提供する約束をしてきました。

後に南会津郡役所にも訪問、大萱峠の資料はないか尋ねましたら、芳名録を見ながら、この方も同じことを言って帰ったと指差したところには我が「北野、半田」の名前。そのオバサンに仲間だよと話しましたら、「あの峠の名前は地元でも知っている人は少ないのに、おかしいなあと思ったよ」と会津弁で喋りまくっていました。他に栗生沢にて大萱峠等の情報を各種収集、後日例会の時に報告いたします。


リンク:山部藪人さんのHP

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