中央分水嶺踏査登山活動報告
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東海支部 東海支部の分担する分水嶺は権兵衛峠から野麦峠まで、おおまかにいえば木曾山脈の北部と飛騨山脈の南部を東西に繋ぐ山稜である。東西とはいうものの、太平洋側の天竜川と木曾川の間へ信濃川上流の奈良井川が食い込んでいるため、その稜線は大きく屈曲して南北方向にも走る。稜線上の人とかかわりがある途中の地点はわずかに3か所、旧中山道が通る鳥居峠、以前は中京方面から上高地へのメインルートであった境峠、そして鉢盛山の山項のみ。人跡稀な山域である。厄介な区間を割り当てられたものだが、通過困難な岩場などはなさそうだから、全区間を切れ目なく踏査することを前提に計画にとりかかった。割当られた76kmを15区間に分割し、それぞれにリーダーを委嘱した。 夏、未だ支部の態勢が整わないまま見切り発車、唯一登山道のある木曾駒北方の稜線を歩いた。当支部担当区間の最高標高点である行者岩から僻徹すると、分水禎の山並みは果てしなく霞の彼方まで続き、何処も深い森林に覆われて前途多難が予想される一方、やらねばならぬと決意を新たにさせられた。 秋、分水嶺踏査委員会を立ち上げ、顔合せを兼ねて取り付きやすそうな鳥居峠の北側をトレースした。途切れがちの踏跡はあるも、10数年前のガイドブックにハイキングコースとして紹介されていた高遠山付近は完全な薮と化していた。木枯らしが吹いてハラハラと降りかかるは初雪か、とよく見ればカラマツの落葉であった。このあたりは圧倒的にこの樹が多く、山は黄一色である。 冬、アプローチが難しくなる。稜線までの唯一の手段はスキー場リフトだ。野麦峠スキー場というものの、峠とは遠くはなれた鉢盛山麓にある。スキー、スノーシュー、ワカンとさまざまないでたちで鉢盛山を往復した。 春、薮山の稼ぎ時、残雪期には何度も入山した。梢越しに純白の御岳、乗鞍、木曾駒の眺望を楽しみながら、薮こぎよりはマシだと思いつつ無名峰へ向ってラッセルに汗を流す。境峠から西の4区間、中継点に取り付けた標識。その標識が順次リレーされて最後に野麦峠へたどり看いたとき、ビニールに密封してあったにもかかわらず氷漬けになっていた。 (堀 文昭) |
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