投稿者:加納 巌
投稿日時:2011/06/01 11:52:35
2007/04/30(Mon) 06:12 先日、「日本山岳会百年史」を受領しました。関係者の大変なご苦労に敬意を表します。
早速パラパラと内容を拝見しましたが、日本山岳会百年史続編・資料編の「日本山岳会百年史年表」(P43)で、1969年の「エベレスト第2次偵察隊(隊長宮下秀樹)が南西壁8050mまで試登」と記されています。
当時第2次偵察隊はエベレスト南西壁の右ルートを8000mまで試登して、1970年の本隊の嵯峨野宏隊員と私が、南西壁の左ルートを登攀して8050mに到達しました。公式報告書「1970年日本山岳会エベレスト登山隊報告書」や「山岳1971年」に発表された大塚博美登攀隊長の記録でもそう記録されています。
英国のクリス・ボニントン氏は、「左ルートから登頂できる」との私のコメントも参考にして、1975年にエベレスト南西壁の左ルートから初登攀に成功しました。(Everest South West Face, Chris Bonington, Penguin Books, 1973, P25)
ところが、山と渓谷社が2005年に出版した「目で見る日本登山史」の「日本登山史年表」では、1969年のエベレスト第2次偵察隊がエベレスト南西壁8050mに到達したと記されています。
そこで詳しく調べてみると、最近までに出版された多くの書籍、登山史年表やインターネット上で同じ間違いの記述があます。今回出版された日本山岳会の「日本山岳会百年史」では、その間違いをオーソライズしているように見えます。
このままでは、今後とも末長くこの間違いが定着しそうです。このような場合にどのように対応すればよろしいのでしょうか?
どなたか、ご助言を頂ければ幸いです。
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(PC等)
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